第2章
プロローグ
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エピローグ

INDEX

act.17

ケイトは俯いて歩いていた。
らしくもない。嫌なことがあったのだ。
それは数日前の事で、瞑夜とずっと会わずにいることも含め、ケイトの中で深い澱のようになっていた。雪に嫌われているらしいのも泣きっ面に蜂だ。

「お節介で、的外れ」

自覚がない訳ではなかった。
だって、現に瞑夜は自分を頼ってくれないのだ。
そんな焦りのなか、淡々ともう死んだであろう友人を探すシドを見て、ケイトは一瞬我を見失った。

「あのさ。もうハルのことは諦めた方がいいんじゃないかな」

イーストガーデンの広場で、たまたま会ってとりとめもない会話をしていた時、彼がまだハルシオンの捜査をしていると言ったので、思わずそう言ってしまった。言ってしまった後で、言葉は止まらなくなってしまった。

「大体、イーストガーデンの中にいて、出てこないなら死んでるって事だし。生きてても、もう何年来ねえんだよって話。昔のダチがそのまま仲良いとは限んないし。そんな一生懸命やって、もし仮に会えたハルがお前との約束忘れてたら、たまんないじゃん」

シドは最初こそ少し驚いた表情をしたが、そのうち凪いだ泉のように静かな瞳でケイトの話を聞いていた。
ケイトはシドが取り乱すと思っていたのに、実際取り乱しているのはケイトばかりだ。シドに傷ついて欲しくなかったはずなのに、逆に傷つけるような事ばかり言ってしまった。

「……」

「わりい……」

顔を背け、謝る。
しかし、シドはまるで気を悪くした様子もなく言った。

「……ハルシオンが約束を忘れていてもまあ仕方ないかな」

「は?」

「それは会ってから考える。俺自体を忘れていても、悲しいけどまあ仕方ない。俺が待ちたくて待ってただけだから。でも、ハルシオンは約束をそう簡単に忘れたりしない人だよ」

その淡々とした様子に、落ち着きを取り戻していたケイトはまたも込み上げて来るものを感じた。それは、少し恐怖にも似ていた。

「……死んでるかも、しれないだろ」

「ハルシオンは死なない」

「お前のそれは、ただのガキくせえ願望に縋り付いてるだけだ」

「例え死んでても、また此処に来るよ。約束したから」

もしかしたら、シドはとっくに壊れてしまっているのかもしれない。ケイトの言う「ガキくせえ願望」にすがる事でしか、立っていられないのかもしれない。
そうなると、もう哀れだ。

「何でそんなに信じられる、ハルを」

「ともだちだからだよ」

「友達ってのは、人を縛り付けるためにある言葉じゃねえ……」

「ハルシオンは俺を縛り付けてはいないよ」

単純な言葉は、仕掛け針のように心の中に残った。
大人げなく子供に突っかかり、逆に酷く打ちのめされたのだ。
自分は瞑夜を信じていただろうか。
いつも上手く心に踏み込めず、相手の気持ちを慮る振りをして遠くに逃げていた。





「じゃあどうしろっつうんだよ、クソッ」

乱暴に石壁を蹴ると、がらがらと破片が落ちた。場所によっては老朽化が激しい。7号室に人が入ったということは、これまで以上にイーストガーデンに人が来るということだ。

「一度何でも屋に相談してみるか」

携帯を取るためポケットを弄っていると、少し遠くの通路を人が横切るのが見えた。
ケイトは目を凝らす。
ショッキングピンクの、パリコレモデルか大道芸人しか着ないような派手なスーツ。背格好も含め、叔父によく似ているように思えた。

「まさか……」

ケイトは走って追いかける。
すると、ちょうどまた道の奥に消えていく背中が見えた。

「叔父さん!」

叫びながら角を曲がり、そこに広がる光景に、目を疑った。
そこはイーストガーデンに他ならなかった。しかし、そこら中に立ち入り禁止のテープが貼られ、警察と思しき人間が何人も歩いていた。
もっと妙なのはイーストガーデンを覆う蔦が消え、昔のように綺麗になっていることだ。
ケイトが混乱する頭で周りを見回すと、叔父が警官と話している姿を見つけた。

「叔父さん!なんだよこれ、どうなってんだよ」

安心と困惑に責め立てるような声を出し近づくが、叔父は一向にこちらを見ない。
丸眼鏡を外してハンカチで顔の汗を拭きながら、弱り切った顔で警官の質問に答えている。

「叔父さん……」

警官も、まるきりケイトの存在を無視している。
ケイトはぞっとして立ちすくんだ。
ここに自分はいないんだ。


やがて叔父と話していた警官は去っていき、他の警官も撤収すると、そこには惚けたように立ち尽くす叔父が残った。
陽気な格好は、暗い表情の彼をも滑稽に見せた。
少しずつ閉店の札を掛ける店たち。
叔父が金と時間と情熱をかけた夢の世界。
それが少しずつ、少しずつ壊れていく。

ケイトは、当時もここで同じように廃れて行くイーストガーデンと叔父を見ていた事を思い出す。
悔しかった。
どんなに叔父が頑張って叶えた夢か知っていたから、可哀想で仕方がなかった。

イーストガーデンで店を構えていた店主たちが、順番に叔父に別れの挨拶をしにきた。
最後にやってきたのは、細くか弱い女性だ。
叔父は女性の言う事に、やっぱり惚けたように返事をしていて、そして女性も少し惚けたように見えた。
その女性が瞑夜とハルシオンの母だと、ケイトは知っている。
彼女は叔父に何度も頭を下げると、頼りない様子で自分の店だった喫茶店へ行く。店のそばには、まだ小学生の幼いシドが分厚い本を読みふけっている。
瞑夜の母はシドにお菓子の包みを渡すと、荷物をまとめて、少し泣きながら出て行った。


異様な状態になっているのもわすれ、小さいシドとまだ美しいイーストガーデンを、ケイトは懐かしく見る。
叔父の宝だったイーストガーデン。
廃れて行く姿を見ておられず、かと言って自ら壊す事もできないで、叔父はケイトに託して逃げたのではなかろうか。

「シド、今より可愛いな……」

撫でようとしたが、触れなかった。
無心に遊ぶ姿は、当時の年齢よりさらに幼く見える。
そんな姿もハルシオンを待っているのだと思うといじらしく思え、つい物思いにふけるところだったが、ふいに視線を感じたような気がしてケイトは振り返った。

「ん?」

喫茶店の横の茂み、よく見ると木陰からこちらを見ている人物がいるようだった。
早くも自分が人から認知されない事に慣れたケイトは、まっすぐそちらに向かう。
そこには大柄な男性がいた。
色白で目が小さく、髪を刈り上げている。
地味なトレーナーを着ており、時々口の中で飴か何かを転がしながら、舐めるようにシドを見ていた。
その異様な眼光に、ケイトは今すぐシドをどこかへ連れて行きたいと思ったが、これはどういう訳か恐らく過去の光景なのだ。ケイトが叫んでも暴れても、何の意味もない。
ケイトがやきもきしながら男を見張っていると、白く長い指が男の肩を叩いた。
ケイトも驚いたが男もかなり驚いたらしく、その体躯に似合わぬ俊敏さで振り返った。

「だれ?」

「遊部と申します」

それは、ケイトが見た事ないほど冷徹な顔をした瞑夜だった。
私服だったが、まだ高校生の頃だろう。
此処最近瞑夜に会っていない事もあり、過去とは言えこんなに近くで彼を見るのは久しぶりだ。
男はしばらく意味もなく視線を彷徨わせびくついていたが、徐々に落ち着いてきたのか、今度はにたりと笑った。

「なんだぁ、お兄ちゃんかぁ」

その言葉と言いかたに、ケイトは不快になる。そしてそれは当然瞑夜も同じで、片方の眉がゆっくり上がった。
しかし、彼は怒りを抑えるようにして低い声で言う。

「弟を返してください」

「なんのこと?」

「あなたが昔弟にこき使われて恨みを持っていた事は知ってるんです。弟が消えた日にイーストガーデンにいたのも覚えている。しばらくいなかったのに、あの日に限って」

「ぷっ」

何がおかしいのか、男は瞑夜の話を聞いて笑い始めた。
まともな相手ではない。
瞑夜は爪の跡がつくくらいに手を手で握り、必死で堪えているように見えた。

「よく見ててくれたんだね。僕嬉しいよ」

男はくすくす笑っていたが、ずいっと顔を近付けた。

「いーよお……」

「……」

「翼くんを、君に返してあげる。それが一番いいと、僕もおもうから。ところで、君と翼くん、似てない兄弟だよね」

「は……?」

瞑夜とハルシオンは、よく似た兄弟だと言われていた。
蜂蜜色の髪や、顔の造形の繊細さ。長い手足。一目見れば、彼らが兄弟だとわかるだろう。しかし、男は尚も言葉を続ける。

「兄弟なのに、全然似てない。案外、本当は翼くんは帰ってこないほうがお兄ちゃんは都合がよかったりして」

その一言で、瞑夜の表情が消える。

「……どういう、意味ですか」

「さあ。とにかく、翼くんは返してあげる。その代わり、親に言ったら殺す。警察に言っても殺す。誰に言っても殺す。あの子をね」

男は背中越しにしゃがみ込んでいるシドを示した。

「……分かりました」

大人しく観念した様子の瞑夜に、男は日時の約束をして消えた。
瞑夜は暗い表情で、小さく歌いながらとぼとぼと男とは反対側へと消えて行った。
あの時は歌えたんだな、とケイトは思う。
それは瞑夜の心情とは裏腹、清らかで柔らかい旋律だった。



やがて、どういう仕組みだか、急速に日が変わっていくのが分かった。
シドは同じ場所にいたり、いなかったりする。あのシドに、ハルシオンは来ないと伝えたらどうなるのだろうか。泣くのか、今と変わらぬ様子で、ハルシオンは来ると言い切るのか。
そのうちに時間の流れが止み、草を踏む音がした。
見れば、少しやつれた瞑夜の元に、汚れたアイスボックスクスを肩に掛けた男が、ゆっくりとした足取りでやって来るところだった。

「約束守ってくれたみたいだね。偉い偉い」

男の言葉などには耳も貸さず、瞑夜の目は、その青い箱に釘付けになっていた。
なぜなら、その箱はどう頑張っても彼の弟が入るサイズのそれではなかった。
がちがちと歯の根の合わぬ身体を必死でその場に留まらせる瞑夜を、ケイトは呆然として見ていた。
知らない。こんなの、知らない。

「誰かに知って欲しかったから。それが君なら、僕も、彼も嬉しいからね」

或いは別の場所にいるのではないか、もしかしたら生きてるんじゃないかと、その一縷の望みを消し去るようにぽんぽんとアイスボックスを叩きながら男が笑う。
それまで気丈に立っていた瞑夜だったが、男の言葉に、生気を抜かれたように顔色を悪くしてへたり込んだ。
そんな状況で、男ははしゃぐように言葉を重ねた。

「さ、開けて見てよ。僕の大切な宝物」