第2章
プロローグ
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エピローグ

INDEX

act.04

「ねえ、瞑夜」

ケイトの声は赤い。
髪の色と同じ、人を焼き尽くす強い赤だ。
歌う時少し高くなる。
聴いていると眠くなるハスキーな声。

「俺を男だって思ってくれないかな……」

それは、奇妙なお願いだった。
学年の女子の中で一番背が高くて、棒みたいに細く、立っていると印象は少年みたいだ。
授業中は大体寝てて、女友達はいないけれど女子にめっぽうモテる。
赤い髪とサボり癖のせいで先生に目をつけられてる。
確かに彼女は女らしくはなかったけれど、だが、それでも女の子だ。

「普段は平気だし、あんま意識してない。俺は俺ってだけ。でも、時々馬鹿みたいになる。こんなスカートはかされて、俺とお前は何が違うんだ。……女子トイレとか、ほんとはすげぇ恥ずかしい……」

ぽろぽろと零れる言葉を、瞑夜は戸惑いながら聞いていた。
瞑夜の友だちはケイトだけで、ケイトの友だちも多分瞑夜だけだ。
その友だちを、瞑夜は無意識にどれだけ傷付けていたんだろうか。
瞑夜とケイトは、そっくりな表情でいた。

「勝手だって分かってる。でも、俺を否定しないでくれ。じゃないと潰れちまいそう……」

瞑夜はケイトの申し出に頷いて、けれど数年後、何も言わないでイギリスに引っ越した。
少し昔の話だ。







どうしてそんな事を思い出したかといえば、昨日のケイトとのやりとりが少しあの時と似ていたからだ。
無職のケイトと休学中の瞑夜は時間を持て余していて、いつもだらだら一緒にいる。

「俺さー、夢が二個あんのよ」

ピアノの鍵盤を人差し指が鳴らす。
ケイトは横からピアノに寄りかかっており、瞑夜は椅子に座って鍵盤に向かっている。
黒いマニュキュアの塗られた指はソ、ラ、シ、と鍵盤の上を歩き、瞑夜の返事を待たずに話は続いた。

「でも、どっちも一人じゃ叶えらんない夢でさ」

「……うん?」

「瞑夜、協力してくんねえ?」

「内容によります」

そんな事を言いながら、瞑夜はケイトが本気なら無条件で協力するつもりだった。
ケイトもそれを分かっているのだろう、子どものように無邪気に言う。

「一個は、イーストガーデンの復活!」

「ほう……」

それは確かに一人では難しそうだ。

「やっぱ血は争えないってやつかな。でも、叔父さんの作ったのはちょいリリカルでお上品で、いかにも奥様連中が好きそーな感じだったじゃん?性に合わねぇ。俺の好きにしたいと思ってんだよ」

「それは確かに夢がありますねぇ」

「だろだろ?」

瞑夜が笑って、ケイトも笑う。
ケイトの作るイーストガーデンならば、瞑夜も見てみたいと思った。

「どんな感じにしたいんですか?」

「ちょっと頽廃的で、こう、日常生活に必要ねえもんを詰め込んだプレゼントみたいな、でも若干ダークな感じ?」

「ゴスパンク?」

首をひねる瞑夜に、ケイトも難しい顔をする。

「んーなんかもっとノスタルジックな…。あー!俺の語彙力が足んねえ!!これってイメージしてるアートとか音楽があるから今度渡す」

「わかりました」

瞑夜は笑いながら頷く。

「まあ、叔父さんの二の舞は嫌だから週一で趣味みたいにやる感じかな」

「なるほど」

「スタジオもあったらいいよな」

「いいですね!」

二人で意気投合する。
何かをする前の計画は、いつも楽しい。
瞑夜はそこで、疑問に思い話を戻した。

「それで、2個目は?」

「あー…、うん」

するとケイトは急に歯切れが悪くなって、向こうを向いた。
瞑夜は不思議そうに首を傾げる。

「……まあ、今度でもいいかな」

「何でですか?」

「何か、気まずくなりそうだし」

「ええ?」

ケイトはバツの悪そうな顔で瞑夜を見る。
瞑夜は想像を巡らせ、気まずくなるようなケースを幾らか思い浮かべてみた。

「ある意味告白みたいなもんだからさ……恥ずいっていうか……」

「ひっ!!」

「なんだよ、その反応。普通に傷つくわ。安心しな。俺が女でも王子には惚れねえから」

「……そっくりそのままお返ししますよ」

で、なんなんですか、と先を促すと、ケイトはポケットから何か小さなものを握らせた。

「何です、これ?」

「USB。機械音痴の王子の部屋にも、流石にパソコンくらいあるだろ」

瞑夜はケイトを睨みつける。

「それは分かります。中身が何か聞いてるんです」

「……曲」

「曲?」

不思議そうな顔をする瞑夜に、ケイトは真剣な表情をした。

「お願いだ。瞑夜、俺の曲を歌って?」

「…………」

思わず言葉を失う。
瞑夜がUSBを握ったまま固まっていると、ケイトは安心させるように笑った。

「……分かってるよ、歌うのやめたんだろ。再会してから、一度も歌ってるとこ見てない」

「だったら、どうして……」

ケイトはポケットから煙草を取り出し、何かに気がついたようにまたしまう。
かなり動揺しているようだ。
そしてそれは、瞑夜も同じだった。

「俺の曲は、俺の声じゃだめなんだ。男の声で歌ってほしい」

「だって……男のボーカルなら、他にもいるじゃないですか」

「誰でもいいわけじゃねぇよ……」

さっきまでの和やかな雰囲気が嘘のようだった。
張り詰めた糸のような空気に、呼吸が苦しくなる。

「君の声が欲しい。言ったじゃん。告白みたいなもんだって」

瞑夜は再び黙った。
様々な言葉が浮かび、結局口から出ずに消える。

「今まで色んな曲を作ってみたけど、皆なんかの猿真似だよ。こんな感じならいんだろって、なんかつまんねえ曲しか作れなくて。でも、俺が今でも音楽やってて、唯一自分で気に入ってんのが、君に歌ってほしい曲なんだよ」

「……ケイト」

「いいよ。追い詰めたい訳じゃないんだ。一度聴いて、気が向かなかったらそう言ってくれればいい。……あと」

「…………」

「もし悩みがあるなら、何でも話してくれよ。もう、何も言わないでどっか行ったりしないでくれ。俺、これでも君の味方のつもりなんだよ」

そのままケイトは気まずそうに建物を出て行った。
瞑夜はふらふらと後ずさり、その際に鍵盤に手をついた。
不協和音が鳴り響く。
別に喧嘩をしたわけではない。
話の内容だって、悪い話じゃない。
なのに、お互いがお互いを傷付けた事がわかった。






そのままケイトと顔を合わせないで翌日。
瞑夜はスコップを片手にイーストガーデンの庭園部分に立っていた。
いつもとは違い、地味なジャージを着て首にはタオルを巻いている。長い髪は纏めて引っ詰められていた。

実は彼にも小さな夢がある。
この寂れたイーストガーデンを、せめて滞在期間中だけでも、花咲き誇る庭園にするのだ。
最終目標は薔薇園。
それには、知識も経験も足りない。

「まあ、物は試しです」

とりあえずは入り口近くの方から雑草を抜いて、用意してきた苗木や種を植えていく。
分かっていた事だが、始めた側から気が遠くなる。
そこに、10号室から出てきたらしいるうが通りかかった。

「瞑夜さん。何を植えてるの?」

彼女は最近しょっちゅうシドの家や10号室に泊まっているが、家族は心配しないのだろうか。
瞑夜は一瞬自分の家族の事を考え暗い気持ちになったが、気を取り直して笑顔を作る。

「こんにちは、るう。デルフィニウムとか、ハクモクレンとか、とにかく好きな花を無差別テロです」

「テロ?」

るうは可笑しそうにくすくす笑う。

「何だか瞑夜さんに花ってよく似合う」

「そうですか?僕よりケイトのが花の種類を知っていますけれどね」

「それは意外」

るうは瞑夜の横にしゃがんで、ふと目に入った花を指差す。

「これ、菫?」

「そう、ニオイスミレ。好きなんです」

「可憐な花」

「良かったらるうも今度手伝ってくださいませんか?一人では手が足らなくて」

「本当?好きな花を植えてもいい?」

「もちろん。用意しますよ」

瞑夜が快く応じると、るうは笑顔で立ち上がった。

「私、クレマチス植えてみたかったの」

「いいですね」

「楽しみ」

去っていくるうを見送ると、瞑夜は菫の花に手をつけた。
まだ半袖では寒いくらいの気温なのに、汗ばんでくる。
汗を拭い、雑草を抜いてゴミ袋に入れる。
土を掘って、植える。
淡々と繰り返す。
庭園は広大で、瞑夜の理想がいつになったら叶うのかは予想もつかなかった。
でも、やってみてわかったが、瞑夜はこういった作業が嫌いではなかった。




ひと段落つくと、少し遠くから眺めて、自分の手により賑やかになった一角に満足した。
苗や種はまだ見えないが、やがて来るいつかが楽しみだ。ケイトもびっくりするだろう。

ケイト。

不意に風が吹いて、花弁が揺れた。
湿気を含んだ強い風によって、イーストガーデンのそこら中を覆う濃緑の葉も、さわさわと笑うようだ。
瞑夜は不安げに辺りを見回す。
足に蔓が絡め取られたように動かない。

「取り返さないと……」

唇から零れた言葉に、瞑夜自身は気付いていなかった。
纏めていた髪が解けて、肩に落ちる。
ぽつぽつと雨が降り始め、彼の植えた花たちを濡らした。
空から音が落ちてくるように、世界が曲で満ちていく。
空が、木が、花が、土が、空気が、彼に歌えと誘いかける。
けれど彼の喉は、石になったように開かない。

「歌を、……から、取り返さないと……」

昨日ケイトの作った曲を聴いてから、ずっとずっと耳の奥で流れてる。
それは魔力を持つように、今まで聴いたどんな曲よりも瞑夜の心に絡みつくのだった。