act.04
「ねえ、瞑夜」
ケイトの声は赤い。
髪の色と同じ、人を焼き尽くす強い赤だ。
歌う時少し高くなる。
聴いていると眠くなるハスキーな声。
「俺を男だって思ってくれないかな……」
それは、奇妙なお願いだった。
学年の女子の中で一番背が高くて、棒みたいに細く、立っていると印象は少年みたいだ。
授業中は大体寝てて、女友達はいないけれど女子にめっぽうモテる。
赤い髪とサボり癖のせいで先生に目をつけられてる。
確かに彼女は女らしくはなかったけれど、だが、それでも女の子だ。
「普段は平気だし、あんま意識してない。俺は俺ってだけ。でも、時々馬鹿みたいになる。こんなスカートはかされて、俺とお前は何が違うんだ。……女子トイレとか、ほんとはすげぇ恥ずかしい……」
ぽろぽろと零れる言葉を、瞑夜は戸惑いながら聞いていた。
瞑夜の友だちはケイトだけで、ケイトの友だちも多分瞑夜だけだ。
その友だちを、瞑夜は無意識にどれだけ傷付けていたんだろうか。
瞑夜とケイトは、そっくりな表情でいた。
「勝手だって分かってる。でも、俺を否定しないでくれ。じゃないと潰れちまいそう……」
瞑夜はケイトの申し出に頷いて、けれど数年後、何も言わないでイギリスに引っ越した。
少し昔の話だ。
どうしてそんな事を思い出したかといえば、昨日のケイトとのやりとりが少しあの時と似ていたからだ。
無職のケイトと休学中の瞑夜は時間を持て余していて、いつもだらだら一緒にいる。
「俺さー、夢が二個あんのよ」
ピアノの鍵盤を人差し指が鳴らす。
ケイトは横からピアノに寄りかかっており、瞑夜は椅子に座って鍵盤に向かっている。
黒いマニュキュアの塗られた指はソ、ラ、シ、と鍵盤の上を歩き、瞑夜の返事を待たずに話は続いた。
「でも、どっちも一人じゃ叶えらんない夢でさ」
「……うん?」
「瞑夜、協力してくんねえ?」
「内容によります」
そんな事を言いながら、瞑夜はケイトが本気なら無条件で協力するつもりだった。
ケイトもそれを分かっているのだろう、子どものように無邪気に言う。
「一個は、イーストガーデンの復活!」
「ほう……」
それは確かに一人では難しそうだ。
「やっぱ血は争えないってやつかな。でも、叔父さんの作ったのはちょいリリカルでお上品で、いかにも奥様連中が好きそーな感じだったじゃん?性に合わねぇ。俺の好きにしたいと思ってんだよ」
「それは確かに夢がありますねぇ」
「だろだろ?」
瞑夜が笑って、ケイトも笑う。
ケイトの作るイーストガーデンならば、瞑夜も見てみたいと思った。
「どんな感じにしたいんですか?」
「ちょっと頽廃的で、こう、日常生活に必要ねえもんを詰め込んだプレゼントみたいな、でも若干ダークな感じ?」
「ゴスパンク?」
首をひねる瞑夜に、ケイトも難しい顔をする。
「んーなんかもっとノスタルジックな…。あー!俺の語彙力が足んねえ!!これってイメージしてるアートとか音楽があるから今度渡す」
「わかりました」
瞑夜は笑いながら頷く。
「まあ、叔父さんの二の舞は嫌だから週一で趣味みたいにやる感じかな」
「なるほど」
「スタジオもあったらいいよな」
「いいですね!」
二人で意気投合する。
何かをする前の計画は、いつも楽しい。
瞑夜はそこで、疑問に思い話を戻した。
「それで、2個目は?」
「あー…、うん」
するとケイトは急に歯切れが悪くなって、向こうを向いた。
瞑夜は不思議そうに首を傾げる。
「……まあ、今度でもいいかな」
「何でですか?」
「何か、気まずくなりそうだし」
「ええ?」
ケイトはバツの悪そうな顔で瞑夜を見る。
瞑夜は想像を巡らせ、気まずくなるようなケースを幾らか思い浮かべてみた。
「ある意味告白みたいなもんだからさ……恥ずいっていうか……」
「ひっ!!」
「なんだよ、その反応。普通に傷つくわ。安心しな。俺が女でも王子には惚れねえから」
「……そっくりそのままお返ししますよ」
で、なんなんですか、と先を促すと、ケイトはポケットから何か小さなものを握らせた。
「何です、これ?」
「USB。機械音痴の王子の部屋にも、流石にパソコンくらいあるだろ」
瞑夜はケイトを睨みつける。
「それは分かります。中身が何か聞いてるんです」
「……曲」
「曲?」
不思議そうな顔をする瞑夜に、ケイトは真剣な表情をした。
「お願いだ。瞑夜、俺の曲を歌って?」
「…………」
思わず言葉を失う。
瞑夜がUSBを握ったまま固まっていると、ケイトは安心させるように笑った。
「……分かってるよ、歌うのやめたんだろ。再会してから、一度も歌ってるとこ見てない」
「だったら、どうして……」
ケイトはポケットから煙草を取り出し、何かに気がついたようにまたしまう。
かなり動揺しているようだ。
そしてそれは、瞑夜も同じだった。
「俺の曲は、俺の声じゃだめなんだ。男の声で歌ってほしい」
「だって……男のボーカルなら、他にもいるじゃないですか」
「誰でもいいわけじゃねぇよ……」
さっきまでの和やかな雰囲気が嘘のようだった。
張り詰めた糸のような空気に、呼吸が苦しくなる。
「君の声が欲しい。言ったじゃん。告白みたいなもんだって」
瞑夜は再び黙った。
様々な言葉が浮かび、結局口から出ずに消える。
「今まで色んな曲を作ってみたけど、皆なんかの猿真似だよ。こんな感じならいんだろって、なんかつまんねえ曲しか作れなくて。でも、俺が今でも音楽やってて、唯一自分で気に入ってんのが、君に歌ってほしい曲なんだよ」
「……ケイト」
「いいよ。追い詰めたい訳じゃないんだ。一度聴いて、気が向かなかったらそう言ってくれればいい。……あと」
「…………」
「もし悩みがあるなら、何でも話してくれよ。もう、何も言わないでどっか行ったりしないでくれ。俺、これでも君の味方のつもりなんだよ」
そのままケイトは気まずそうに建物を出て行った。
瞑夜はふらふらと後ずさり、その際に鍵盤に手をついた。
不協和音が鳴り響く。
別に喧嘩をしたわけではない。
話の内容だって、悪い話じゃない。
なのに、お互いがお互いを傷付けた事がわかった。
そのままケイトと顔を合わせないで翌日。
瞑夜はスコップを片手にイーストガーデンの庭園部分に立っていた。
いつもとは違い、地味なジャージを着て首にはタオルを巻いている。長い髪は纏めて引っ詰められていた。
実は彼にも小さな夢がある。
この寂れたイーストガーデンを、せめて滞在期間中だけでも、花咲き誇る庭園にするのだ。
最終目標は薔薇園。
それには、知識も経験も足りない。
「まあ、物は試しです」
とりあえずは入り口近くの方から雑草を抜いて、用意してきた苗木や種を植えていく。
分かっていた事だが、始めた側から気が遠くなる。
そこに、10号室から出てきたらしいるうが通りかかった。
「瞑夜さん。何を植えてるの?」
彼女は最近しょっちゅうシドの家や10号室に泊まっているが、家族は心配しないのだろうか。
瞑夜は一瞬自分の家族の事を考え暗い気持ちになったが、気を取り直して笑顔を作る。
「こんにちは、るう。デルフィニウムとか、ハクモクレンとか、とにかく好きな花を無差別テロです」
「テロ?」
るうは可笑しそうにくすくす笑う。
「何だか瞑夜さんに花ってよく似合う」
「そうですか?僕よりケイトのが花の種類を知っていますけれどね」
「それは意外」
るうは瞑夜の横にしゃがんで、ふと目に入った花を指差す。
「これ、菫?」
「そう、ニオイスミレ。好きなんです」
「可憐な花」
「良かったらるうも今度手伝ってくださいませんか?一人では手が足らなくて」
「本当?好きな花を植えてもいい?」
「もちろん。用意しますよ」
瞑夜が快く応じると、るうは笑顔で立ち上がった。
「私、クレマチス植えてみたかったの」
「いいですね」
「楽しみ」
去っていくるうを見送ると、瞑夜は菫の花に手をつけた。
まだ半袖では寒いくらいの気温なのに、汗ばんでくる。
汗を拭い、雑草を抜いてゴミ袋に入れる。
土を掘って、植える。
淡々と繰り返す。
庭園は広大で、瞑夜の理想がいつになったら叶うのかは予想もつかなかった。
でも、やってみてわかったが、瞑夜はこういった作業が嫌いではなかった。
ひと段落つくと、少し遠くから眺めて、自分の手により賑やかになった一角に満足した。
苗や種はまだ見えないが、やがて来るいつかが楽しみだ。ケイトもびっくりするだろう。
ケイト。
不意に風が吹いて、花弁が揺れた。
湿気を含んだ強い風によって、イーストガーデンのそこら中を覆う濃緑の葉も、さわさわと笑うようだ。
瞑夜は不安げに辺りを見回す。
足に蔓が絡め取られたように動かない。
「取り返さないと……」
唇から零れた言葉に、瞑夜自身は気付いていなかった。
纏めていた髪が解けて、肩に落ちる。
ぽつぽつと雨が降り始め、彼の植えた花たちを濡らした。
空から音が落ちてくるように、世界が曲で満ちていく。
空が、木が、花が、土が、空気が、彼に歌えと誘いかける。
けれど彼の喉は、石になったように開かない。
「歌を、……から、取り返さないと……」
昨日ケイトの作った曲を聴いてから、ずっとずっと耳の奥で流れてる。
それは魔力を持つように、今まで聴いたどんな曲よりも瞑夜の心に絡みつくのだった。