第2章
プロローグ
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エピローグ

INDEX

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7号室への入り口は、10号室と同じくイーストガーデンの内部にある。
ケイトの叔父の『粋な遊び心』故の構造だが、それに振り回される身にもなって欲しいものだ。
三本目の煙草に火をつける頃、蔦だらけの迷路の向こう側から雪が姿を現した。
細かいレースがあしらわれたふわりと広がる黒いワンピースに、ガーゼでできた薄いハイソックス。真っ赤なロッキンホースバレリーナ。ヘッドドレスをつけて、薄く化粧もしていた。

「よう、雪。おめかししてるじゃん」

「馬鹿じゃないの」

その手を払うような答えに、ケイトは笑う。

「お姫様はご機嫌斜めか。いいよいいよ。じゃあさっさと行くとするかね。幻の7号室」




重くのし掛かる植物達の合間から見える漆喰の壁には、貝殻やガラスが埋め込まれ美しい。さらに塗り忘れか、ちらほら下の煉瓦が見えたりするのが、スポンジの見えてしまったデコレーションケーキみたいだとケイトは思った。
さらに途中から上部に黄薔薇のアーチが被さるこのメルヒェンな小道は、ちょうどケイトの後ろを警戒しながら着いてくるひらひらした格好の雪にお似合いに思えた。
けれども道は唐突に高い壁によって途切れてしまう。
壁は、エクリチュール館の裏側だ。
道はそのままではただの行き止まりだが、よく見ると巧妙に偽装した扉がある。ちょうど、ケイトが立ち止まった足元の下側である。

「こんなん分かる訳ねぇわ」

ちゃんと気をつけて見ればヒントはあるのだ。
例えば壁の下の方に、まるで建物をそのままぐっと地面に押し込んだように、窓ガラスの頭が少し見えているのだとか。

「いやいやいや、そんな馬鹿馬鹿しいフェイク、他んとこにもあるからな」

「はやく、開けて」

未だ納得のいかないもののあるらしいケイトを雪が急かす。
それにあいあいと応え、ケイトは腰につけていた鍵を二本使って扉を開ける。
他に合わせて煉瓦が敷かれたように見える地面の一部は、鍵が取手になり、最初こそ少し重いものの、途中からは反動で自動的に上がる。
そこから見えるのは地下に続く階段。
電灯が勝手に灯るのにも、金を惜しまないこだわりが見えた。

「寒いのが玉に瑕なんだよねー」

「あ、ちょっと、おい」

勝手知ったるといった程で地下へ降りて行く雪をケイトは追う。

「お前、ちゃんとした鍵つける前に勝手に入ってただろ」

「だってここ、すすぐの部屋だもん」

素気無い態度が可愛くない。
いや、可愛い必要はないのだが、たまに遠くで見かける、瞑夜といる時の様子との格差に、ため息がでた。

「ね、なんでそんな王子が好きな訳?」

「なんでケイトにそんなこと言わなきゃいけないの」

「ほんでなんでそんな俺には対応悪いのさ」

「うるさいなー」

そんな話をしているうちに階段が終わり、まだ何もないだだっ広いワンルームに辿り着く。
ただし、その真ん中には水族館の水槽やテラリウムを思わせる強化ガラスに囲まれた小さな中庭があった。
天窓の上を鳥の群れが飛んでいたのか、地面に落ちた影が渡っていった。
しかし、最後の鳥が消える前に、その小さな世界はモーターの回転音と共に白く隠されてしまった。
雪がロールスクリーンのスイッチを押したのだ。

「教えてあげようか、ケイトを嫌いな理由」

ケイトが振り向くと、雪は可愛い顔に邪悪な笑顔を浮かべていた。

「お節介で、的外れで、がさつだから」

「わお……」

続けざまに息の根を止めるように言われ、流石に笑顔が引き攣る。

「俺、本当に何かした?」

「うるさいな。何も知らないくせに。必要な時以外、わたしにも瞑夜にも近づかないで」

今度は本当に冷たい声で言った雪に、ケイトは肩をすくめた。そっちがその気なら、なだめすかしてまで理由を問い詰めるような仲でもない。鍵の束から二つ外して床に置くと、そのまま出口に向かうことにした。
けれど階段の途中で立ち止まり「なんかあったらちゃんと言うんだよ」そう言って、部屋を出ていった。









「ほーくーとーちゃーん」

左手で開かないドアノブを捻り、右手人差し指でインターホンを連打しているのは、塔子以外の何者でもない。

「いるの知ってる〜。さっきコンビニ行って戻って来たでしょ〜!ビールあたしにもちょーだいっ!!」

すでに酔っぱらっているかのような態度に、4号室の住人、北斗は観念したように姿を現した。既に額に青筋を立てている。

「やほー!今日もエロい顔してんね〜」

「黙らないと息の根を止めるぞ。何の用だ」

「えへへ。お部屋入れて〜」

当然、という風に入ろうとする塔子を、北斗は自分の身体で止める。

「ええ〜なんで〜?」

彼は不満そうに見上げる幼馴染に、首を振った。

「原田さんに悪い」

それを聞いた塔子は、一瞬きょとんとした顔をして、すぐに困ったように笑う。

「真面目だなあ……」

その左手の薬指には、銀色のシンプルな指輪が光っていた。

「腹が減ってるなら外に行くか?」

北斗が気を取り直したように誘い直すと、塔子は両手を振った。

「ああ、大した事じゃないの。北斗ちゃんのお顔を見たかったっていうのが一番で、なんでかっていうと、今描いてるエロ漫画に眼鏡の弁護士が出てくるんだけど、あ、それ男性向けね。それが30歳でまだ恋を知らない、つまりしょ……」

「早く要件を言え」

「ぐっ……すいません。最近変な人見るなーって。可愛い子多いから心配で。ほら、昔子供も行方不明になった事件あるじゃない?」

「何だって?」

北斗の顔色が変わったので、塔子は逆に否定を始めた。

「あ、でもでも、変な事してる訳じゃないよ?たまにいるじゃない。滝とか建設現場とか無関係なのにいつも見てるおっさん。あんな感じでさあ」

「どんな奴?」

「体格のいいおっさん。ぬぼーって感じのさ。クレしんのボーちゃんが大人になった、みたいな。早朝とか、徹夜明けによく見るの。イーストガーデンの周りをぐるぐる散歩してるみたいな。ただの健康的な人かなあ」

「いや……」

北斗の脳裏にやけに具体的な人物イメージが浮かんだ。もちろん、そんなはずはないのだが。

「そういう事は教えてくれて助かる。ここは未成年が多いし、管理人代理もまだ子供だ」

「そうよね〜」

ケイトが聞いたらぎゃーぎゃー騒ぎそうな事を言って二人は頷いた。


この一件から北斗は時間のある時にイーストガーデンを見回るようになったが、怪しい人物は見つからず、見掛けるのは先日会った「王子」と呼ばれている青年と、それに付き纏う甥の姿ばかりだ。

「はぁ……」

何でそんな格好をしているのかもよく分からないのに、甥っ子は構わず北斗には難解な行動ばかりする。

「仮に、万が一、男性との交際を認めるとしても、そいつは絶対にやめてほしい」

見るからに問題ごとを抱えた青年だが、何より北斗の直感が厄介な相手だと訴えているのだった。