第2章
プロローグ
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エピローグ

INDEX

act.07

『キミとボクはよく似ているね』

呪いのような忌まわしい言葉が耳に蘇る。
ふわりと生暖かい風が吹いて、湿って重くなった髪が揺れた。
同時に、消えた音が戻ってくる。
しかしそれ以前と今では、どうも自分の居る場所が変わってしまったような違和感を感じた。
身体が、じわじわと染まっていくようだ。
目の前では、雪が動かなくなった瞑夜を不思議そうに見ている。

違う、変わったんじゃない。
思い出したんだ。



瞑夜は雪の胸元でチラチラと光る物を見た。
それは、瞑夜の胸元にある物の揃いだ。
7号室の鍵。
瞑夜は、ただその場所へ行くだけでは目的を遂げられない事を理解した。
だとしたら、ここでこの少女と出会ったのは僥倖だ。

「7号室。入れて貰えないかな」

獲物を逃さないようにと、優しげな声で言う。
雪は瞑夜の目から隠すように、両手で胸元の鍵を隠す。
瞑夜が一歩踏み出したので、雪は一歩後退した。

「欲しかったらこの鍵、あげる」

行動とは裏腹に、雪は上目遣いにそう言った。
瞑夜がもう一歩進み、雪がまた後退る。
瞑夜は焦れったくなって手を伸ばした。
しかし、雪は警戒するような顔で彼を見るばかりだ。

「ほら、くださいよ」

「瞑夜が雪を大好きになってくれたら」

「は?」

「瞑夜が、雪を愛してくれたら、この鍵あげる」

思わず持ち上げていた手をおろす。
そうして、苛々とした顔で髪をぐしゃぐしゃに掻き上げた。
ゴールがすぐ近くにあるのに、つまらない足留めを食らっているのが不快だった。

「……わかった。言うこと聞いてあげるから、鍵を」

苛立ちを隠さない声でそう言ってもう一度手を伸ばしたが、雪は首を縦に振らなかった。

「愛してくれてから、だよ」

「……じゃあさっさとホテルでもいきます?ちょうどすぐ近くにあるし」

「……え?」

「君の部屋に入れてくれるなら話は早いけど」

「?」

雪は意味が分からない、という顔をしていたが、瞑夜の言葉の意味を理解すると、すぐさま怯えた表情を浮かべた。

「嫌っ!!」

雪が本当に嫌そうだったのもあり、瞑夜は不愉快さを取り繕うことも無く舌打ちした。
彼のこんな姿を見たら、おそらく友人のほとんどがぎょっとするだろう。

「ああ、もう、面倒くさい」

言うや否や、雪から無理やり鍵を取り上げようとする。
一方の雪は意外とすばしっこく、瞑夜の手から逃げるようにしゃがむと、そのまま身を翻して走っていく。
高いヒールに動きにくそうな嵩張る衣服を物ともせず、捕まえようとすると寸前で逃げられてしまう。
体裁も憚らずみっともない姿で雪を追いながら、青臭い匂いのイーストガーデンを駆け抜ける。
雪は中の抜け道からパロル館近くの道路に出た。
もう直ぐでその長い髪に手が届く、というところで、いつの間にか迫っていた車がけたたましいクラクションを鳴らした。

思わず身を引いて立ち止まると、その黒く光るスポーツカーが開いて、運転席から人が出てくる。

「北斗さん!」

雪が甘い声で叫んで、その人物に抱きつくように飛び付いた。
北斗さん、と呼ばれた男は、瞑夜よりもいくらか歳上に見えた。
名前も、聞き覚えがある。

「そこのお前」

北斗は、非常に静かで冷たい声を出した。彼の背中から、雪がこちらの様子を窺っている。

「うちの甥に用があるなら、まずは私が話を聞くが?」

瞑夜は『甥』という言葉に激しく違和感を感じたが、それよりも目の前の男の威圧感に圧倒されて言葉ひとつ出てこなかった。
まるで、虫けらでも見ているような目だ。

「北斗さん。瞑夜をあまりいじめないで」

雪の言葉に、北斗は軽く首を傾げる。

「瞑夜……?ああ、それじゃ、君が噂の『王子様』ね。ふうん」

鼻で笑われて、瞑夜は眉間に皺を寄せた。

「ケイトくんからはもう少しお行儀の良い子だって聞いてましたけれど。……まあいいでしょう。雪成、乗りなさい。出かけますよ」

「でもでも」

北斗が睨むと、雪はとぼとぼと車の助手席の扉を開ける。
ちらりと瞑夜を見るが、瞑夜は下を向いていて、二人の目は合わなかった。
やがて車が瞑夜を置いて発進し、見えなくなっても、彼はそのまま動かないでいた。
様々な感情が身体を苛んで、笑ったらいいのか、叫んだらいいのか、泣いたらいいのか、よく分からなかった。

雲間から太陽の光が差し込み、辺りが本格的に明るくなっていく。
それでも瞑夜の気分は晴れなかったし、言葉にならない感情は暴力のように彼のなかで暴れていた。

『キミ、そっくり。ボクとそっくりだ。綺麗なのは皮一枚だけで、中は真っ黒。欠陥人間なんだよ。可哀想』

「かわいそう……」

『可哀想』

「でもせめて」

『誰も愛する事なく』

「歌だけは」

『誰からも愛されず』

「取り戻す」

『人間の営みから外れて孤独に死ぬ』

柔らかい緑の瞳に、虚ろな光が灯りはじめる。
唇は奇妙に歪んで微笑みに似ていた。
ああ、滑稽だ。
こんな自分が楽しんじゃって、普通の友情だとか感じて仲間意識とか持ったつもりになって、本当に愚かしい。

「あははは」

せめて笑おう。
たとえ独りで終わりを迎えても、崩れて壊れてしまわないように。
心に荊を張り巡らせて。