act.20
不意に誰かに名前を呼ばれた気がして、瞑夜は振り向いた。けれどそこには誰もいない。
「どうしたの、瞑夜?」
隣にいた雪が声をかけてくる。
「いや、なんでもないよ」
二人はいつもより口数少なく歩いていた。
瞑夜はスコップを、雪はダンボールや袋、軍手を持っている。
足が重いのは気のせいではない。
本当は、全部忘れて逃げ出してしまいたかった。本当に歌が戻る保証もないのだ。わざわざ四年前の悪夢を掘り起こして、今度は言葉すら奪われる可能性すらあった。
やがて、道の行き止まりに差し掛かり、二人は足を止めた。
そこにはシドとるう、そしてケイトが二人を待っていた。
「よう」
「どうも」
まるで昨日も会ったかのような様子で、瞑夜とケイトは挨拶をした。
「どうしているのか聞いてもいい?」
「お節介しに来た。力仕事だろ」
「その様子じゃ、何か知ってるんですね」
ケイトは黙って肩をすくめた。
雪がケイトを睨むが、それにも怯まない。
そんな中、シドが瞑夜の持つスコップを見て言う。
「何を掘るの?」
シドの後ろで、るいが目を伏せる。
瞑夜が口を開く前に、ケイトが言った。
「こう言う場合、馬鹿正直に言うのは正しくないだろうけど、今までの君を見てたら、誤魔化したりはできないな」
「ケイト、」
瞑夜が引き止めるように呼ぶが、ケイトは首を振る。
「今から俺たちはハルの遺体を掘りに行く」
空気が痛いくらい張り詰めていた。
「こいつは偶然なんだけど、俺スコップもう2つ持ってんの。だから、シドも手伝ってくれないかな。説明は後でするよ」
「ハルシオンが埋まってるの?7号室の中庭に」
「ああ……」
「そ。わかった……」
呆気ないくらいに素直にシドは頷き、その静かさが逆に怖かった。
「るう。君はどうする」
「もちろん、行くわ。彼は私の友達でもあるもの」
行かない理由はなかった。
罪のない菫の花を優しく掘り返し、中庭の隅に置く。
そこから、瞑夜、ケイト、シドで土を掘り返し始めた。ほとんど誰も何も言わず、一心に手を動かす。土はそれほど硬くなかったが、三人とも慣れない作業で手際良くとは言えなかった。
るうと雪も、たまに飲み物を買って来たりする以外では、話もせずに穴が掘られてゆくのを見守っていた。
やがて暗くなっても一向に目的の物は現れず、その頃には一同にも疲れが見えてくる。
「まだ、もっと深かったはずです」
「壊さないといいけど……」
「…………」
シドが無言なのがるうには不安だった。
順序立てて説明しようと思っていたのが、ケイトに先に結論から言われてしまったのだ。
そして、ハルシオンが此処に埋められている事は、るうも初耳だった。しかもこれではまるで、ケイトと瞑夜が埋めたみたいではないか。
今日は月の明るい夜で、中庭の電灯がなくても、十分に土が照らされていた。
「こんな夜だったな……」
独り言のような瞑夜の言葉に、ケイトと雪が俯く。
それからはひたすらに手を動かし、月がてっぺんに着いた頃、穴はちょうどあの日瞑夜が掘ったほどの深さにまで到達した。
最初に声を上げたのはケイトだった。
潰れたランドセルにスコップが当たったのだ、
ランドセルを引き上げると、すぐにぼろぼろの布がみつかる。布に包まれたそれを、瞑夜は恐る恐る取り上げた。
布はあの日の瞑夜が着ていたジャケットで、赤黒く染まったそれを震える手で開いていくのを、皆で息を殺して見守る。
「ああ……」
誰の声か、吐息が漏れた。
ビー玉が転がったのを皮切りに、沢山の小さなきらきらと光るものがこぼれ落ちた。
そしてその後に、小さな頭蓋骨を含めた、一部皮が残って張り付いた、子供の遺体が現れた。それはもはやハルシオンの面影もなかったが、茶色のランドセルを見ればこれが誰なのか、一目瞭然だった。
シドがあげたルービックキューブ、名前の書かれた教科書、彼が拘っていた大人の使うような筆記具たち、お気に入りの鉱物や、自分で削った木製のゴム鉄砲。
彼の持ち物は、彼の遺骨よりも雄弁に彼を思い出させた。
瞑夜は、自分が当初想像していた、弟との再会と今の状態がまるで違うことを感じていた。
『きっとこれからずっと、誰も愛する事なく、誰からも愛されず、人間の営みから外れて孤独に死ぬ』
きっとこの時は、弟を埋めた時のように、たった独りで苦しむのだと思っていた。
それがどうだ。
雪がいて、ケイトがいて、シドとるうもいて……。
そうだ、シド。
振り返れば、シドは土に汚れたルービックキューブを持って、瞑夜の膝の上の友人の骨を見ていた。
「瞑夜……骨が足りないように見えるよ」
泥に汚れた少年は、月明かりで真っ白に輝いて見えた。
「説明、する。順番に」
ケイトが瞑夜を庇うように口を挟む。
「君が殺したの?」
「違う」
「ああ、でもどうでもいい。彼が此処にいないなら、俺が待っている意味は、ない」
淡々とした言葉に、感情は感じられなかった。
シドは持っていたルービックキューブを落とすと、ランドセルから出てきた錆びた小型ナイフを拾い、返し手で素早く自分の首に突き刺した。
あまりに躊躇なく、あまりに静かだったため、誰もが止める事ができなかった。
「すぐ、いくね」
よたつきながらナイフを抜いたのは、失血による死亡率を上げるつもりだろうか。
そのままシドは転倒し、ケイトと瞑夜が駆け寄る。
雪が携帯で救急車を呼ぶ中、るうは目の前の事についていけずにいた。
どんどん血に染まってゆくシドに近付くことも、掘り起こされたハルシオンに触れることもできなかった。
これでは、まるで透明人間。
過去の彼らを見ていた時の、余所者の自分とおんなじであった。