第2章
プロローグ
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エピローグ

INDEX

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そのまま瞑夜はしばらく動かなかった。
次に動いた時には、手負いの動物のような痛々しい動きでアイスボックスの蓋をしまい、それから携帯電話をポケットから取り出した。

「あ、ケイト?今日ケイトの家にいることにしてくれないかな。悪いけど頼むよ」

今の出来事が嘘だったかのような明るい声だった。
電話の向こうから、当時の自分の呑気な声が聞こえる。
通話を終えると、またしばらく俯いて、今度は自分の家族に連絡した。ケイトの時より通話が長引いたのは、ハルシオンの事で彼の両親が敏感になっているからだ。

「それじゃ、おやすみ」

緊張の糸が切れたのか、瞑夜はまたしばらく下を向いて泣いていた。
その後ティーカップの喫茶店の裏からスコップを持ってくると、それとランドセルとアイスボックスを担ぎ、ふらふらとした足取りでどこかを目指し始めた。



道の途中で、ケイトにもそれが7号室への道だと分かった。
いつから知っていたのか、瞑夜は7号室の隠し扉を開けて中へ入ってゆく。
鍵は開いているが、電気は通っていない。
暗い階段を危なげに降りてゆく。
幸いその日は月が明るく、中庭も月明かりに照らされて手元が見えた。
瞑夜はアイスボックスを地面に置くと、さっそく土を掘り始めた。
焦燥した顔に、吐瀉物と土に塗れた服。普段の優雅で丁寧な所作の彼はどこにもいない。
遺体はとりあえず隠しておく、というつもりではないらしい。何度もよろけ、時に嗚咽で動けなくなりながら、深く、深く掘ってゆく。
ケイトはそれを見ながら、ただ泣き続けてる自分に気づいた。
彼と一緒に産まれたばかりのハルシオンを見に行った日を、今でも覚えている。兄になった事を瞑夜はとても喜んで、珍しくはしゃいでいた。
瞑夜が何故ハルシオンを埋めているのかちゃんとは分からないが、あの頃の自分は、こんな事実を知ってそれでも瞑夜の味方でいただろうか。
事の重さに潰れて、我が身が可愛くなってはしまわないだろうか。瞑夜からすれば、たかだか友達なんかに言えるはずがないのだ。
そんな事も知らず、ケイトは秘密を話してくれない瞑夜に距離を感じてそれをぶつけていた。

「俺は、なんて馬鹿なんだろう……」

不意に、この暗い部屋の中に、もう一人人間がいた事に気付く。
瞑夜も気付いていないようだ。
その少年は中庭の光の届かない、部屋の角からじっと瞑夜を見守っていた。

「雪、」

ケイトが雪に気を取られているうちに、瞑夜は自分の背丈くらいまで土を掘り下げていた。
そして長い時間躊躇った後、アイスボックスの蓋を再び開ける。

「……ごめんね。身体を綺麗にしてやりたいけど、母さんたちがこんな姿みたら、きっと壊れちゃうから。……生きてるうちに見つけてやれなくて、本当にごめんね」

そして、手が汚れるのも構わず、弟の身体を箱から出すと、自分の上着に包んでランドセルと一緒に穴に入れる。再び土を埋めなおし、仕事を終えると、瞑夜は弟の真上に横たわってしばらくじっとしていた。
小さな声で歌っているのが分かる。
ケイトは触れられない親友の横で、その優しい子守唄を聴いていた。




朝になる前にすっかり涙の枯れはてた瞑夜は、アイスボックスとスコップを持って7号室を出て行った。
ケイトも彼を追おうとするが、部屋の闇に潜んでいた少年が動き出したので振り返る。
雪は中庭へ入ると、その土の中を透かして見るように、下を眺めていた。

「ハルシオン……死んじゃったの?」

それから彼は先ほど瞑夜がそうしていたように土に横たわる。

「……春になったら君に似合いの菫の花を植えるね。だから瞑夜を許してあげて」

それを見て、ケイトは雪が自分を嫌いな理由が分かったような気がした。
視界が少しずつ、白くなってゆく。
雪も、7号室も見えなくなっていった。
「ああ、戻るんだ」と不思議と理解できた。
視界が変わり、気が付いたら、ケイトは最初に叔父を見つけて追いかけた小道に立っていた。



あまりの出来事に、しばらく動けずにいた。
しかし、不意に考え至る。

「王子、君はハルを掘り起こしに来たのか」

思い出せば、やけに7号室の現状や鍵を知りたがっていた彼の姿が浮かぶ。

「今更何のために……」

考えるが、分からない。
分からないが、分からないなりに、今度はちゃんと力になりたい。
例えどんなに沢山の人間から責められる結果になるとしても、たった一人の親友の笑顔を取り戻すためなら、なんだってしてやる。瞑夜の心を隠す荊も、もう怖くなかった。