第2章
プロローグ
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エピローグ

INDEX

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「言っちゃったよ……王子に……」

「それ、さっきから何回目」

薄暗い店内、呻き声にも似た情けない声に、容赦なく冷たい突っ込みがはいる。

「この次、どういう面で会えばいいのかわかんねえ」

「いつもみたいにカッコつけて『よっ!俺ケイト!元気にしてるか?』みたいな感じで登場すれば?」

「……俺ってそんな孫悟空みたいなキャラ?」

「悟空の純粋さと強さを無くした感じかな」

「それ、ただの威勢のいい猿じゃね?」

そんな二人のやり取りを、部屋中に飾られた人形たちが聞いていた。
部屋の壁にはマネキンが等間隔に並べてあり、その間にさらに人形ーー球体関節人形ーーが設置されている。
人形たちは小さいもので50センチ、大きいものでは等身大ほどもあり、そのどれも痛々しい傷をガーゼから覗かせたり、又は身体の一部を欠損した状態だ。
人形の側には作品名の書かれたラベルがあり、それらは全て病名で統一されている。ご丁寧にラベルが薄汚れているのはギャラリーの拘りだろう。
機械音とも人の声とも言えない、音のコラージュのような退廃的BGMや、それぞれに設置されている小さめのスポットライトが作品の迫力を増すようだ。それらがちゃちな文化祭のお化け屋敷に見えないのは、人形を作った作家の腕か、会場を作ったデザイナーの腕か。
美しさとおぞましさが隣接する、死の匂いの濃いアートギャラリー。名前を、バロックという。
今日の展示は『実験縫合素体』だ。

とはいえ、先の二人の会話はその空間においては間抜けで仕方がない。
部屋の中の唯一のドアからは、黄色い豆電球で照らされたケイトとその友人、望月のいる受付を通らねば展示スペースには入れない。
観覧料は500円。
今は客が一人もいないので許される会話だ。
いつもはさっぱりしすぎているくらいのケイトの珍しく弱気な顔を見て、望月は同情の表情など一片も浮かべなかったが、次の展示のパンフレットを折る作業をしながら、追い出しもせずに話を聞いてやる。

「あのさ、ケイト」

「なに。今俺は君の心ない言葉で傷付いている」

「沙耶さんがさ」

「シルバーの?」

「うん」

『沙耶さん』というのは、シルバーアクセサリー作家である。
ケイトの首にぶら下がっている王冠のついたハートのシルバーも、彼がデザインし、作り出したものだ。

「この前も来てくれたんだけど、最近会うたびケイトの話するわけよ」

「お……おう?」

「まあ、多分好きなんだよね。ケイトのこと。女として」

ケイトは何とも言えない顔をした。
沙耶は男である。ケイトもまた、精神は男だ。
望月は細い目でそれを一瞥すると、至極淡々とした声で言う。

「だからさ、その王子とかいう人もそういう気持ちなんじゃない。寝耳に水ってやつ」

ケイトは頭痛でもしたかのように額を押さえる。

「……ちょっと、さっきの爆弾も処理しきれてないんだけど」

「僕から言わせれば、ケイトがアホなんだよ。女の子にあんなスキンシップされたら、気があるのかなって思うじゃん」

「えー。もしかして昔もっちーもそう思って俺のこと好きだったりした?」

「ううん。僕はケイトの顔全然好みじゃないから、やだなって思っただけ」

「もっちー……」

何故だか自分の周りにはドライな人間が多い気がする。
そう思ったケイトだが、何のことはない、ケイト自身がそういう人間を好きなのだ。
知り合いは多いが、特別な友人や頼りにしている人間はみんなどこか孤独な色がある。
ケイトはそういう人を見ると、どうにも構いたくなるのだった。彼らが鬱陶しそうにしていると、少し楽しくなってくる。

「ま、話戻すけど。歌ってくれるかは別として、これで気まずくなって友達じゃなくなる、なんてことはないんじゃない?」

「どうかな。何の連絡もなくイギリス行っちゃうような冷血漢だし」

「でも、戻って来たんでしょ」

「別に俺に会いに来たわけじゃねえし。むしろ、帰国も直前まで知らなかった」

望月は不機嫌そうな声になったケイトに肩をすくめたが、ギャラリーの扉が開いたのでそちらに関心を移す。
いらっしゃい、とぶっきらぼうな声で呟くと、中に入ってきた若い女性が、店内を眺めて控えめな歓声を上げた。
ギャラリーに来る人間は若い娘もそこそこ多く、その中にはゴシックロリータやゴシックファッション、ちょっと違うところだとケイトのようなパンクファッションや原宿系、サブカル系の客も珍しくない。
その手のジャンルの服が好きな望月は大体、女物でも見ているだけでブランド名が分かるくらいになっていた。
今度の客は『ネバアランド』で固めている。(しかし、望月は若い女の客をあまり歓迎していなかった)
鮮やかな赤色の大きなリボンをあしらったシャツに、ふわりと広がる同色のスカート。ボーダー柄のタイツがサーカスを思わせるファッションだ。
その後ろから、もう一人店内に入ってくる。
そっちは地味だったが、彼女が身につけている懐中時計形のペンダントやANNA SUIのダークパープルの鞄を、望月はもう何度も見ている気がした。

「二人分、チケットください」

最初に入ってきた客は、初めてここに来たのか、少し落ち着かない様子でそう言った。
望月は、自分が初めてこの店に来た時の事を思い出す。
業界的に有名な作家の球体関節人形を一同に見ることのできる店。人形一体一体は作家の手作りであり、この世でたったひとつの存在だ。

「はい。一人500円です」

リボンの少女がちらりとケイトを見たので、ケイトはサービスでにっこり笑う。
みるみるうちに赤く染まる女の子の顔を見て、望月は内心呆れた。
ケイトと望月の出会いは高校からだが、ケイトはその頃から派手に遊んでいたものだった。
教室でヘルマン・ヘッセを読んでいた必要以上はほとんど喋らない望月と、学校に来る日の方が少ないにも関わらずクラスで人気者のケイト。彼らが今でもずっと友人でいるのは、趣味が似ていたからだ。
望月が面白いと思った物を教えるとケイトは必ず気に入り、逆もまたそうだった。
それはこのギャラリーも同じ事で、ケイトは望月が雀の涙ほどの給料で働いているこのバイト先に頻繁に遊びに来ては、手伝ってくれている。代わりにチケット代などはタダにしていた。

少女たちが展示スペースへ消え、浮かない顔に戻ったケイトを横目に、望月は高校の頃の王子、つまり瞑夜を思い出す。
直接話したことはないが、瞑夜はよく目立っていたので、あまり他人に興味のない望月の記憶にもほんの少し残っていた。

(たまに物凄く冷たい顔するひと)

そう言ったら、ケイトは何ていうだろうか。
まあ関係ないけどね、と望月は再びパンフレットを折るのだった。