第1章
プロローグ
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エピローグ

INDEX

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目を覚ますと、そこはまだ何の家具も置かれていない殺風景な部屋だった。
カーテンのない窓硝子から差し込む日差しに気付き、シドはそれから逃げるようにごろごろ転がって玄関まで行く。
さすがにここは暗く、しかし寒い。
しばらくじっとしていると、外からぱたんと微かにドアの閉じる音がした。
郵便受けから覗いてみれば、空色のフリルのたくさんついた、ボリューミーなワンピース姿の女の子の後ろ姿が見える。
なんとかロリータとか言うやつだ。
この町では、さぞかし目立つファッションだろう。

『エクリチュール館の11号室とパロル館の4号室は、逆の意味で姿を見ないんだよね。片や引きこもり、片や外出で。管理人としてはちょっと困ってるんだよね』

ケイトの言葉を思い出す。
シドの部屋の隣、4号室に住んでいるのは姿を見るのが珍しいくらい家に寄り付かない人物らしい。
あの子もゲームで勝って鍵を貰ったのだろうか。


時計を見れば、午前9時を回っている。
そろそろ配達が来る時間だ。
そう思ってると、ちょうどインターホンが鳴る。
扉を開けると、ケイトだった。

「うっす。今日荷物届くんだろ。手伝いに来た。……ってか寒。この部屋さっむ!」

「あ……りがとう?」

ケイトは勝手知ったる、といった調子でシドの部屋に入ると、エアコンをつけて部屋をぐるりと見回した後、シドを振り返る。

「布団は?」

「……今日、届くよ」

「いや、昨晩どこで寝てたのさ」

「……そこ」

シドが何もない床を指差したので、ケイトは顔をしかめる。

「…………何でここに住む奴らってこうも常識が抜けてる奴ばっかなんだ。風邪ひくぞ、ってか死ぬぞ!」

「それより窓を塞がないといけないんだ」

「それよりっつった?……まあ、タフなのはいい事だけどな。くれぐれも死なないようにな」

きょとんとしたシドに呆れたように、ケイトはため息をつく。地味だから気付かなかったけど、確かに昔からエキセントリックな奴だったわ。と、昔に思いを馳せていると、今度こそ引越し業者のチャイムが鳴る。







「シドくんシドくん」

「……なあに?」

「これはさすがに無いと思うわ」

「?」


『七海配達でーす♪』と、思わず顔を三度見するくらい美形のお兄さんが一人で運んで来たダンボールは、どれもこれも馬鹿みたいに重かった。
そのほとんどはパソコンの本体やディスプレイ、またその周辺機器で、それらは届いた側から(普段からは考えられないくらい手際の良い)シドによって組み立てられ、今では部屋の半分くらいが黒い機械群に占領されている。
配達のお兄さんが軽々と持ってくるので、ケイトが同じ調子で持ち上げると、とんでもない重さで腰を壊しそうになる。
結局ケイトはダンボールから荷物を出して緩衝材を袋に纏める役目に落ち着いた。
お兄さんが爽やかな笑顔で帰ってしまった後には、ぼろぼろのケイトと、生き生きとキーボードをいじるシドと、窓にダンボールを貼られた無残な部屋が残ったのだった。

「……一応、ボロいけどイーストガーデンはけっこう名のあるデザイナーが作ったんだぜ。その窓の塞ぎ方はないんじゃないか」

「そうだね。ダンボールだと隙間ができちゃうからね」

「…………。あとさ、冷蔵庫……は辛うじて小さいのがあるみたいだけど、洗濯機は?炊飯器は?服少なくない?食器もないのかよ」

「……近くにコインランドリーあるから。後はコンビニ」

「その前に、布団は?寝る場所は?」

「これ」

シドは小さなダンボールの中から小汚いタオルケットのような物を出した。

「犬かよ!あと、不自然なくらいパソコンが生活空間を占領してるみたいだけど君いったい何者?どう見ても君を独りで生活させるのは心配すぎる要素しかないんですけど!!」

ケイトはそう捲し立てながら、シドの白い頬をみょんみょんと引っ張った。
シドは涙を浮かべながらもされるがままになっている。

「分かった。君の事は俺と王子で面倒みよう。引きこもったりするなよ?飯ちゃんと食ってるかチェックしに来るからな。引きこもりは一人で十分なんだから」

引きこもり、エクリチュール館の11号室のことだろう。それで思い出す。

「……あ、ケイヒョ。ほれ、ひょなりの部屋の人見たよ」

「え、北斗さん?」

「……ん、部屋から出てきたの見た。後ろ姿だけだったけど」

ケイトが手を放したので、シドは赤くなった自分の頬をさする。

「へえ、良かったじゃん。北斗さんを見れた日はラッキーな事があるって俺の中でジンクスがあるんだ」

まるで、妖精か珍獣の扱いである。

「すごくふわふわしたスカートを履いた人だね」

「スカート!?なんだよ。あの人、女連れ込んでんのかよ」

素っ頓狂な声を上げたケイトに、シドは首を傾げた。どうやら今朝見たのは北斗さんという人ではないらしい。ケイトの様子を見ると、男性のようだ。

「じゃ、お客さんだったんだね……」

「ん〜、たぶんね。彼女なのかな。ちょっと見たかったな」

ケイトは悪戯っぽい顔でにやにやと笑う。

「ケイトはその人とも友達なの?」

「友達っていうか、近所の兄さんみたいな感じ?ほら、俺の叔父さんがここのオーナーじゃん。北斗さんはかなり最初の方から叔父さんが連れて来てたんだよね。知り合いの子供?とかで」

「最初の方…」

「そう。初めて連れて来て貰った時は、まだ店も一、二軒しかなくって、新しかったけどまだ寂しい感じで。俺は小学生で両親が共働きだったから、学校帰りに叔父さんとこ預けられててさ。段々店が増えてって、賑やかになってく過程を見てた。だからかな。イーストガーデンは俺にとってちょっと特別なんだ」

「へえ」

シドは、冷たいコンクリートのイーストガーデンに少しずつ灯りが灯っていく情景を思い浮かべた。

「北斗さんはちょっと歳が上で、勉強が忙しかったからあんま構ってくれなかったけど、基本は面倒見が良くてお人好しだから世話になったなあ。だから今度は俺の番」

そう言うと、ケイトはシドの髪をくしゃくしゃと撫でた。

「さ、せっかくのクリスマスだし出かけようぜ。デートのエスコート、してくれるだろ?」

シドはその言葉に頷こうとして、くしゅんとくしゃみをする。








頬の丸みや、大きなたれ目、下がった眉のラインは幼さを残していて、シドは可愛らしい印象の顔をしている。
ただし、圧倒的に野暮ったい。
服もくたくたならば、お洒落のおの字もないショルダーバックは小学生のようで、おまけに晴天の下の黒い蝙蝠傘。
どんなに奇抜なファッションの相手の横を歩いても恥ずかしいと思った事はないが、喫茶店でマジックテープのついた財布を出した時には、ケイトはシドを勿体無いやつだ、と思った。
誕生日にかこつけて寝具を揃えてやるつもりのお出かけだったのだが、服を一式揃えてやろうかと真剣に考えてしまった。
もちろん、布団を買った時にケイトの財布は随分と寂しくなっていたのだが。

「ふとん、ありがと…。良かったのに。お金も、自分で払えたのに…」

俯きがちにそう言ったシドの肩を、ケイトは力強く叩いた。

「わ……」

「俺が歳上ぶりたいんだから察しろよ。たまには黙って世話されとけ」

すると、シドがびっくりしたようにケイトを見上げる。

「……ケイトは変わっているね?」

「はは。よく言われるけど、君も相当だと思うよ」

「…………白いから?」

「まあ、それは確かに珍しいけど似合ってるからいんじゃね?シドのマジで変わってるとこは部屋がパソコンで埋まってるとことか、食器が一枚も無いとことかね」

あと、と付け加える。

「全然笑わないところ」

「……俺、笑ってない?」

「あんまりね」

「そっか…。自分じゃわかんないや」

シドはそれこそ無表情で自分の頬っぺたを両手で包んだ。

「ま、君は美人だから笑ったら皆喜ぶんじゃないか?愛想ってやつも、覚えとくと何かと得だぜ」

「……皆って誰だろ」

「……そりゃ、お父さんやお母さん、お友だち、とか。まあ、とにかく皆だよ」

「……父さんも母さんも、忙しくてほとんど会わないや。兄さん達にも嫌われてるし。友だち……」

口調が淡々としているだけに、ケイトは少し慌てた。こんな流れに持っていくつもりではなかったのだ。

「こう考えたらいいんじゃねえの。いつか会う、シドがめちゃくちゃ好きになって、めちゃくちゃ好きになってほしい誰かに笑顔見せれるように、今から練習すんの。きっとそいつもシドが笑ったら嬉しいと思うよ」

なんて、クサイかな。と苦笑いしたケイトに、シドは少し笑った。
ケイトはむにっとシドの頬をつまむ。

「今の笑顔は上出来。王子にも見せてやりたかったね」

二人は白い息を吐きながら、イーストガーデンへの帰り道を歩いた。