エピローグ
四方をコンクリートの壁に囲まれた殺風景な空き地に、セーラー服姿の少年が座っている。
少年の周りには、彼の歳にしては子供っぽい、ミニカーやブロックなどのおもちゃが散らばっていて、少年はそれらを指先で弄びながら小さな声で歌っていた。
空き地は一面菫の花が咲き、月の光が彼らを照らしている。
「おかえり、ハルシオン。ゲームは楽しかったかしら?」
彼の背中に、いつの間にか現れた、ワンピース服姿の少女が声を掛けた。
少女の言葉に、ハルシオンは歌うのをやめた。
「……楽しかったよ。でも、僕が勝っていたら困っただろ、ノイ」
大人びた声で、振り向きもしないで彼は言う。
ノイと呼ばれた少女は、小首を傾げた。
「その時はその時。何とでも方法はあるわ。それに、あなたはきっと最初から負けるつもりだったでしょう」
「……そうかもしれない」
ハルシオンの胸元に、鍵のついたペンダントはもうない。
ゲームの勝者に譲られたのだ。
代わりに彼は、臙脂のマフラーを幾重にも巻いている。
「僕がノイと知り合いだったって知ったら、るうは怒ったかな」
「怒るかどうかは分からないけど、どうしてって聞くでしょうね」
「るうはあんなにノイに会いたがっていたのに、君はちょっと冷たいんじゃない」
「あら。会いたい気持ちは、私の方がずっと強いと思っているわ」
「…………」
ハルシオンはノイに背を向けたまま立ち上がった。
月の光に照らされ、長い脚や薄い色の髪が光って見える。
「……行けよ。鍵はるうに渡した。もう僕は何も持ってない」
「……そうね」
「時間をくれたこと、感謝してる」
「いいの」
この迷宮のような世界へ迷い込んだ時、ノイはこどもの泣き声を聴いた。
しかし導かれるように変わった建物の中に訪れると、閉じ込められていたそのこどもは、泣くどころか燃えるような瞳でノイを睨みつけてきた。
彼は、自分の死を悲しんでいるのではなく、怒っていたのだ。
どうせ時間のある身だ。少しの間だけでも、と相手をしているうちに、あのゲームを思いついて今に至る。
兼ねてより気がかりだった彼女の妹と、生きていたら同い年の彼を会わせてみたいと思ったのだった。
「でも、もう少しいることにするわ」
ノイの言葉に、ハルシオンは自嘲気味な声を出した。
「それ、僕を憐れんでるの」
「そうじゃないのよ」
なだめるようなノイの声に、ハルシオンは何かを振りほどくように頭を振った。
長い髪が、彼の表情を隠している。
「わからないの?魔法が解けて、子供に戻って、何もなくなった僕を誰にも見てほしくないんだ。あんな屈辱的な死に方をして、こんな場所で消えてく無様な僕を見るな!!」
ヒステリックに叫ぶ彼の涙が散って、きらきらと光った。
ノイはしかし、穏やかな表情でそこにいた。
「それでも、わたしここにいるわ。きっとそれがわたしの役割だから」
その言葉に、ハルシオンがノイを振り返る。
口を真一文字に結んで、瞳に涙を湛えていた。
「……本当は、忘れられるのが怖いんだ」
聞こえないくらい小さな声で言う。
「笑えるだろ、るうにあんな事を言っておきながら……」
それを、ノイは否定も肯定もしない。
「……来世があったら、」
「……ええ」
「また、シドやるうと会いたい」
「そうね」
「ノイも、いてもいいよ」
「ふふ。わたしはついで?」
かたん、と力が抜けたように菫の花の上に倒れ込んだハルシオンを、細かい光の粒子が包む。
ハルシオンは幼い子供の姿になり、周りにあったおもちゃは消え、菫の花もなくなり、冷たく黒ずんだ土が覗いた。
ノイはハルシオンの側まで行くと、横に座って柔らかく細い髪に指を通した。
「おやすみ、ハルシオン。楽しい夢をね」
幼い肩はしゃっくりを上げていたが、最後には挑発するような不敵な瞳でノイを見上げた。
「悪夢だって楽勝さ」
その言葉にノイは微かに笑い、ハルシオンは目を閉じる。
凍てつくほど冷たいイーストガーデン。
春は未だ遠く、昔の夢の残骸を護るように、コンクリートの壁が建つ。
耳を澄ませばこどもたちの嬌声が聴こえるようで、そんな錯覚が寂しい。
優しい指が、温かい吐息が、溢れ落ちる笑顔が触れるのを、人知れず待っていた。
月の光が差す秘密の中庭で、幼い少年が眠っている。
少年は胎児のように丸くなり、どんな夢を見ているのか、その唇は微かに綻んでいる。
少年の姿は月明かりの中で徐々に消えていき、そのままとうとう見えなくなった。