第1章
プロローグ
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エピローグ

INDEX

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「わーい。のり弁ですねえ。コンビニ弁当って、わたくし大好き!」

「唐揚げ弁当もあるよ。あとは、ハンバーグ弁当かな」

「はんばーぐ!……迷うところですが、のり弁で!」

実に楽しそうである。
瞑夜はコンビニ弁当をあまり好きではなかったが、ケイトと齋藤はけっこう好物のようだった。
シドは例のごとく食事に興味がないのか、白米のパックを開封している。


内装はそうも変わらないはずだが、齋藤の部屋は瞑夜やケイト、シドの部屋と雰囲気がまるで違う。
古びた高級そうな箪笥などの日本家具の合間に、洋風のパイプベッドや医療用戸棚が並び、資本の差を感じる。和洋折衷でどこかレトロだ。しかし、何より特筆すべきはその本の量だろう。
床や家具の上に積まれた本は、時代小説から絵本、専門書、とジャンルもばらばらだ。置かれている本を見ても持ち主の年齢や性別、趣味趣向といった人物像が浮かび上がって来ない。
その他には、黒電話や紙風船、達磨など、変わった骨董品が転がっている。
ベッドの上や椅子の上にまで占領したそれらは明らかに生活空間を奪っている。それでいてまるで生活感を感じられないのが不思議だった。何というか、撮影用のセットに見えるのだ。
齋藤自身もそんな印象である。
抜けるような色白で、真っ黒な髪をうなじの上でざんばらに切っている。能面じみた顔は整っているが少し怖い。そしてやはり、性別がまったく分からないのだった。
簡単に黒い浴衣を着ているだけなのに、身体のラインからも瞑夜には判断がつかない。
手や首、腰の位置から声まで、どこを取ってもその都度見え方が揺れる。こんな人物は初めてだった。


「やっぱここからが一番イーストガーデンを見やすいな」

「屋上からならもっと見やすいですよ」

ケイトは齋藤とどのくらい親しいのか、慣れた様子で本を跨ぎながらベッド横の小さな窓から外を見ている。
それに、割り箸を片手に持った齋藤が答えた。

「屋上も本置いてるのか?シドもだけど、人の住む部屋じゃないぜ。床が抜けるとか勘弁してくれよ」

「まさか。本が傷んだら困りますから、直射日光の当たる場所には置きません。でもそうですね。2号室を貸していただけばもっと楽に部屋を歩けるようになると思うのですが……」

齋藤はおねだりするような目でケイトを見る。
しかし、ケイトはにべもない様子だ。

「無駄無駄。あんたの場合、ここはそのままに、あと一部屋分本を買うよ。知ってるんだぜ、ここの他に倉庫も借りてるだろ」

「うう…でも倉庫は遠くて車の運転のできないわたくしには中々行けなくって」

「タクシー呼びな、作家先生」

「……わたくし、書く方はてんで駄目なのですけれどね」

幼い頃に好きだった作家のサイン会に行った時くらいしか、瞑夜は小説家というものに会ったことがない。
よくよく考えればあり触れてはおらずとも一職業なのだから、それなりにピンからキリまでの小説家がいようが、つい物珍しい目で見てしまう。
ケイトと齋藤の話が途切れたところで、瞑夜は先ほどから気になっていた事を尋ねた。

「あの、齋藤さんはどんな小説をお書きになるのですか?」

「……あ、官能小説です」

「…………」

恥ずかしげにうなじを掻いて笑う齋藤に、瞑夜は笑顔のまま黙った。
あまり色気の見あたらない齋藤(そもそも性別がわからない)である。瞑夜はその手の小説を読んだことがなかったが、一瞬頭の中が卑猥な言葉でいっぱいになった。
そうなると、自分の目の前にある主婦向けの雑誌や齋藤の足元にある理科の教科書が何か違う側面を見せる。
瞑夜は無意味にシドの頭を撫でた。

「?」

「……メシ食うか」

ケイトの一言で、各々食卓に戻り食べる準備を始めた。





「でもさ、やっぱエクリチュール館はいいよなー。パロルと比べて広い」

家具や本に圧迫されたこの部屋は開放感とは程遠かったが、確かにこちらの部屋はパロル館の1.5倍くらいの面積があるだろう。

「この壁がなければもっと広いのでございますが」

齋藤は自分の背後にある壁をこんこんと叩いた。
それにシドが反応する。

「……図面見た時も思ったけど、その空間不思議だよね」

上から見て長方形のエクリチュール館のど真ん中を、六畳分ほどのスペースが削り取られている。

「確かに、柱にしては太いよな……」

「桐谷殿は遊び心のあるお方でしたからなあ」

食事を終えた齋藤が口をハンカチで拭いながら言う。
桐谷、というのはケイトの叔父だ。

「内緒の仕掛けがあるかも分かりませんね」

「それだよ、それ!」

齋藤の言葉にケイトは思い出したように手を叩く。

「俺たち、10号室の行き方聞きに来たんだよ。古株で叔父さんとも仲良かった齋藤さんなら知ってんだろ?」

「……10号室。何でまた?」

「いや、俺管理人なのに知らないのおかしいだろ。叔父さんと連絡つかないし、一応把握しときたいって思って」

齋藤はちろりとケイトを見たが、特に疑う様子もなく頷いた。

「なるほどなるほど、ケイトくんは勤勉であります!」

「……ま、あね……」

「と、言ってもわたくしが行ったのも結構昔の話でして、覚え違いがあるかも分かりませんが、10号室はイーストガーデンの中から入るのでしたよ」

「へえ、やっぱそうか」

「エクリチュール館近くはイーストガーデンが三階までのレイヤー構造になっておりますから、とにかく上に行っていただきます。すると通路の壁側のどこかに地味な扉があるので、それが10号室の入り口でございますね」

「……あ、なんか俺、1号室で良かったって思ったわ。めんどい」

「僕も……そう思いました」

「そんなあなたのために、近道がございます。入り口から一番近い厠がありますね。その横の梯子を使うと近いんですよ」

「……子供の発想かよ」

「桐谷殿は童心を忘れない御仁でございますからね。素晴らしい」

にっこり。齋藤は笑って煎茶を啜った。
そして、思い出したように言う。

「時に、ケイトくんが10号室の位置を知らないのなら不思議でございますねえ」

「何が?」

「今日、物音がした気がするんですが。下から」

その言葉に、ケイト、瞑夜、シドは顔を見合わせた。

「え、どんな?」

齋藤は両手の指を組み、その上に顎を置いて首を傾げる。

「例えば扉が開いて閉まるような?」

ケイトは思わず前に身を乗り出した。

「それ、いつ?」

「ケイトくんたちがいらっしゃる前ですよ」

それを聞いたシドは、もう立ち上がって部屋を出て行く準備をしていた。

「あ、シド、こら」

「後片付けはこちらでしますからお構いなく。ご馳走様でございます」

齋藤の歌うような声を背中に、ケイトと瞑夜は本を跨ぎながらシドを追った。

「ごめん、齋藤さん。また話聞かせて!じゃあね」

外に出たケイトの声は最後の方は扉が閉じて聞こえなくなってしまった。
齋藤は、目を細めてのんびりと茶を啜り、

「ま、防音ですから下に人がいても本当は分からないのですが」

聞く人のない部屋で、そう呟いた。