第1章
プロローグ
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エピローグ

INDEX

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ハルシオンの過去を知ったイヴの夜から、るうは熱を出した。
その日の夜は家族と出かけるはずが、るうの熱で母親は看病に回り、他の家族も家で食事を取ったようだ。
熱は次の日もおさまらず、るうはうなされながら悪夢をいくつも見た。
ノイがいなくなる夢、ハルシオンと喧嘩する夢、イーストガーデンに独りぼっちで置き去りにされる夢、あの気持ちの悪い男に髪を引っ張られる夢……。

気がつくともうクリスマスの夜で、枕元には両親からのプレゼントと、幼い頃からいるぬいぐるみが並べられていた。
目を冷ましては暖かい布団の中にいる事に安堵し、そしてハルシオンとのことを思い出し、少し落ち込んだ。
彼から渡された鍵は、今もちゃんと机の上にある。


翌日、るうはイーストガーデンに足を向けたものの、なかなか中に入る気にならなかった。
イーストガーデンは最後に見た姿のまま、つまり廃墟のままにそこにある。
朝母親に聞いたところ、随分前に店が全部潰れてしまい、それ以来ずっと人気のない状態なのだそうだ。るうの体験を話したところで、とても信じては貰えないだろう。まるであの時みたいだ。
ハルシオンは次が最後だと言った。
何から何までるうの意思と関係なく事が進んでいくので、動くのも辛いくらいに気力が落ち込んでいた。
入り口から中を覗いてため息をついたるうの視界の端に、不意にアリスブルーのひらひらした物が映る。
何かと思ってみれば、日傘を差してフリルのスカートでドレスアップした、ロリータ姿の女の子だった。
女の子はイーストガーデンの横の細い道を入っていく。
るうもふらりと釣られるようにしてそちらの方向へ歩き出した。


コンクリートの壁沿いの道を、ロリータとるうは一定の距離を置いて進んでいく。
歩くたびにスカートがふわりふわりと揺れる。
高価で気軽に手に取ることのできないロリータのブランドは、るうは着たことは無いものの嫌いではなかった。
こんな田舎では悪い意味で目を惹きそうだ。
そんなことお構い無しにロッキンホースバレリーナを優雅に履き慣らす少女がどんな子なのか、ほんの少し好奇心を持ってしまう。
しばらくして、二股の曲がり角に当たる。
イーストガーデンの壁に沿って曲がったロリータにるうもその後を追うが、そこにはすでにその姿はなかった。
どこの建物に入ったのだろうか、と思っていると、イーストガーデンの壁に埋め込まれるようにして建っている、クラシカルなアパートの二階から、パタンとドアが閉まる音がした。

「パロル……館?」

入り口の集合ポストを見ると、人が住んでいるように見えた。
イーストガーデンの表は廃墟になってしまっているのに、アパートはまだ使われているのだろうか。

鍵、住人、10の鍵は特別……。

るうは、丸眼鏡の男とハルシオンの会話を思い出す。
恐らく、彼らの名前隠しのゲームの景品はこのアパートの鍵だったのだろう。
しかし、パロル館に6号室までしかないのを見て、るうは首を捻った。
ふと横を見れば、同じようなアパートが、やっぱり壁に埋め込まれるようにして建っている。
そちらは、エクリチュール館と書かれていた。

「7、8、9、10、11号室……」

ポストの番号を見て、エクリチュール館はパロル館からの連番になっているのだと分かった。
試しに階段を上ってみると、不思議なことに階数が四階分あるのに、三階には行けなかった。
二階は9号室、四階は11号室の各一部屋分の扉しかない。順番からいって三階にはるうが探している10号室があるはずなのに、階段は三階を無視して続いているのだ。

「大体、7号室もないし……」

変な建物だ。
まあ、あの丸眼鏡の男が作ったのでは仕方ないのかもしれない。

「いつまでも逃げている訳にはいかないか……」

るうは重たい気持ちを引きずるようにして、またイーストガーデンの正面まで歩いてきた。
元々植物が多い場所だったが、今は侵食されている印象が強い。
コンクリートは所々破れているし、アーチに彫られた「EAST GARDEN」の文字もかすれている。
中に入ると荒廃の色は一層強く、るうが初めて来た時に目を奪われた、美しい店々のガラスが曇っている様に、いちいちため息をつかずにはいられなかった。
それでもどこか美しいと感じるのも本当だ。
今日は薄っすら霧がかっていて、神秘的という言葉も浮かぶ。
悔しいが、こんな状態でも魅力を持つイーストガーデンを作ったあの丸眼鏡の男に、るうは一種の尊敬の念を抱いていた。

「ハルシオン……」

本当に会えるのかと不安になりながらも、るうは彼の名前を呼んでみた。
るうが立てる物音を除けば、静かすぎて人がいないのは明らかだった。
挫けそうな気持ちを鼓舞して猫でも探すようにあちこち見ていると、ハルシオンがよく座っていた場所に古ぼけたノートが置かれていた。

「これは……」

表紙は良くある普通のノートだ。
めくってみると、そこにはイーストガーデンの図面が描いてあった。
角ばった0.3ミリのシャープ芯で書かれたハルシオンの字。
るうは幼いハルシオンとシドが良く覗き込んで議論していたノートの存在を思い出した。
彼らがイーストガーデンを探検して、見つけた物や道を書き足していくノート。
るうは図面に、スミレ色のペンでつけられた印が所々にある事に気がついた。

「なんの印かな」

印は、今るうがいる位置から始まり、イーストガーデンの奥まで続いている。
るうは印を見ているうちに、もしかしたら最後の点にハルシオンがいるのではないかと考え始めた。
とりあえずはノートの通りに進もう。
そう決めて、歩き出す。

印のある場所は等間隔ではなく、ただ、ティーポットの店や、二人でシャボン玉を飛ばした場所、ハルシオンの兄が歌っていた塔や、ハルシオンの秘密基地など、るうに見覚えのある場所が多い気がした。
しかし、そのどこにもハルシオンはいない。
るうはそれでも順番に印の通りに進んでいく。
印のある場所では必ず立ち止まり、彼の姿を探し、何か変わったところがないか確認した。

やがて、最後の点に近付くにつれ、その終わりの場所が、先ほどるうが見つけたアパートの裏側に位置する事に気付く。
それに伴って、霧も濃くなってきたように感じた。
ハルシオンは、るうの持つ鍵の鍵穴を暗に指し示すためノートを置いておいたのではないか。でも何故、と不可解にるうは思う。
そうこうしているうちに、まだ心の準備がつかないまま、るうは辿り着いてしまった。

「10号室だ……」

コンクリートの壁に同化するような、シンプルな扉がそこにはあった。
小さく10の文字と翼のマーク、ドアスコープが付いている。
鍵穴は二つあったが、ひとつはるうの持っている鍵が入りそうだった。
るうはきょろきょろと周りを見て、やはりハルシオンの姿が見えないことにがっかりした。
ハルシオンのノートの印はこれで終わりだ。
鍵をすぐに差し込む気にはならない。


「おめでと、るう。君の勝ち、みたいだね」


その声に、るうは素早く振り向く。
るうのいる場所の一階に、彼は立ってるうを見上げていた。

「ハルシオンがノートに正解を書いてたんじゃない。それに私はまだ、鍵を開けてない」

るうが下を覗き込むようにして叫ぶと、ハルシオンは微笑んでいるようだった。
ハルシオンは彼女と出会った時のセーラー服を着て、首にはマフラーを巻いている。
その親しげな表情に、むしろるうの胸は痛くなった。

「楽しんでくれた?印のとこ、僕のイーストガーデンのお気に入りの場所なんだ。ツアーみたいで面白いでしょ」

「面白くなんかないよ。もう会えないかと思って怖かった」

「ふふ。そのノート、あげるね」

「なんでさ。これはあなたとシドのノートじゃない」

ハルシオンはしばらく黙って笑っていた。
るうは下に降りようと思ったが、その前にハルシオンが口を開いたので、思わず動きを止めた。

「僕ね、シドに伝えなきゃいけない事があるんだ。代わりにるうが伝えてくれない?」

「……そんなの自分で伝えなさいよ」

「あのね、先に行ってって言いたいんだ」

「え?」

「シドったら、ずっと待ってるかもしれないからさ。僕は死んでるのに。だから、僕を置いて先に行ってくれって、ずっとそう伝えたかった」

「……そんなの嫌だよ。10号室だって、あなたはシドと行きたかったはずでしょ」

「……。君も」

「……」

「僕は、るうのこと、忘れるよ。だから、るうも僕のこと、忘れて。君とシドが友だちになってくれたら、僕は嬉しいな……」

そう言って笑顔で手を振ったハルシオンは、俄かに濃くなった霧に隠されて、姿が見えなくなってしまった。
るうは急いで下に降りようとしたが、霧のせいもあり、どうしてもハルシオンを見つけることは出来なかった。

「私、ハルシオンのこと絶対に忘れない!ハルシオンも私のこと忘れたら、許さないから!」

手繰り、名前を呼んで、がむしゃらに走って、また名前を呼んで、どこにいるのと泣いて、霧でずっしりと重くなった髪や服を纏い、るうは結局ノートを抱きしめながら10号室の前まで戻ってきた。


かじかんだ手で鍵を差し込むと、小気味の良い音がして、あっさりと鍵が回る。
疲れ果てた身体に力を入れて、ようやく扉を開けた。
そこはとてもとても温かくて、るうは倒れ込むように中に入った。