act.09
「王子、この高そうなケーキどこから調達したんだい」
「ああ、これ。何でも屋さんにお願いして買ってきて頂いたのです」
小さなちゃぶ台の上には、ステーキや寿司など、バラエティーに富んだ食品が綺麗に皿に並べられ所狭しと並んでいる。
その中で一際目を惹くのが、卓の真ん中に置かれた、果物をふんだんに使った大きなチョコレートケーキだ。
ケイトとシドが買い物している間、事前に家主と打ち合わせていた瞑夜が、ケイトの部屋で食事の準備をしていたらしい。
と、言っても彼は買ってきて貰った食事を皿に並べただけである。
「何でも屋さん?」
ケイトが尋ねながらちゃぶ台の脇に座ると、後ろから付いて来たシドもそれに倣う。
「今朝チラシが入っていました」
瞑夜は鞄からセンスのない黄色と赤で構成されたチラシを取り出す。
『何でも屋の七海』とゴシック体ででかでかと書かれ、引越しの手伝いからゴミ掃除まで何でも請け負う旨が書かれている。
下の方に描かれた犬だかカモノハシだか分からないキャラクターの着ている服を見て、ケイトはあっと小さく叫んだ。
「運んできたの、いやにイケメンな若いにーちゃんじゃなかった?」
「ああ、そう言えばちょっとびっくりしました。モデルが来たのかと」
「何でこんな仕事してんのか分からないよな」
三人の脳裏に、艶やかな黒髪の笑顔の眩しい美青年が浮かんだ。
彼はシドの家に荷物を運んだ後、瞑夜の買い物を請け負った事になる。
「ま、いいや。じゃあ食べようぜ」
乾杯もせずに、ケイトは割り箸を割って早速ニンニクの芽のベーコン巻きに手を付ける。
瞑夜はいただきますと手を合わせ、シドは目の前にある温めたレトルトのごはんをそのままもつもつ食べ始めた。
静かだった…。
「なんか、暗い。クリスマスなのに暗い」
ケイトがバチンと手を叩く。
音楽かけようぜ、とMacをいじると、あまりクリスマスらしくはないが、シドの知らない軽快なロックが流れ始めた。
瞑夜はケイトと趣味が合うのか選曲を褒めている。
「てか、君ら恋人とかいないのかよ。俺はまあ、いないから君らといるんだけどさ」
「いませんねえ」
「恋人…」
シドには恋人など、今までできた事もない。
「シドは坊ちゃんだからともかく、王子は向こうでブリティッシュ美人と何かなかったわけ?」
「ないですね。僕、地味でしたし」
「君が地味なら大抵の男は風景と同化してるだろ。なんか勿体無いな」
ケイトは早くも二つ目のビールの缶を開けている。
「シドはどんな子が好きなんだよ。ほら、アイドルとかでいないのか?」
「アイドル、あんま分かんないや」
「クラスに好きな子は?」
「……学校行かないから」
「まあ、今は女の子より友達と遊ぶ方が楽しい年代かもしれませんね」
瞑夜がお母さんのような事を言ってシドのグラスにきらきらと輝く液体を注ぐ。
それを見たケイトはしばらく首を傾げ、呟くように言った。
「おい、王子。それシャンパンじゃないか?」
瞑夜が慌ててラベルを確認する頃には、シドはグラスの中身を飲み干していた。
「……こどもシャンパンじゃ、なかったんですね」
瞑夜の顔が強張ったと同時に、シドが大きなしゃっくりをする。
二人は顔を見合わせる。
「君って奴はたまに本当にそそっかしい!」
「ごめんなさい。でも、こどもシャンパン頼んだはずなんですよ。僕はワイン飲むつもりだったから。ケイトはビールでしょう」
瞑夜が飲み物の袋を探ると、もっと可愛らしく小柄な瓶のこどもシャンパンと、今まで気付かなかったメモ用紙が入っていた。
『初回特典でシャンパンおひとつサービスしときます。今後ともご贔屓ください。メリークリスマス^ ^ 七海』
「ああああああああ〜(錯乱)」
「王子落ち着け。シドの歳には俺らばかすか飲んでただろ」
冷静なケイトの言葉に、瞑夜は少し顔を明るくする。
「そ、そうですよね。夜通し飲んで、ケイトのお父さんに叱られましたよね!(未成年の飲酒は法律で禁止されています)」
「そうだよ、シャンパンの一杯くらい…………はっ!でももし万が一アル中で倒れたら運び込まれるの北斗さんがいる病院じゃん!……めっちゃ怒られる」
今度はケイトが呪いでも受けたように頭を抱える。本当に怯えている様子だ。
「ケイト最低。シドの心配より自分の保身ですか」
「だって王子知らないんだよ、北斗さん怒るとめっちゃ怖いんだよ」
二人の芝居じみたやり取りを眺めながら、シドは黙って白米を食べ続けていた。正直、シャンパンを飲んでもぴりぴりしたとかツンとしたとかしか分からなかった。
「とにかくシドの状態次第でしょう!」
瞑夜が気づき、二人はようやく肝心のシドを見る。
「大丈夫か?気分悪くないか?」
「気持ち悪くなったら言うんですよ。ごめんなさいね、僕の不注意で」
シドは二人の言葉にこくこく頷く。
「とりあえず、大丈夫そうだな?」
「良かった」
二人は安心した様子で元の場所に戻り、再び箸を手にする。
「良く考えたら俺たちも大袈裟だったな。もっと試してみても良かったんじゃないのか?」
「さっきまで慌ててたくせに……」
調子の良い事を言うケイトに、今度こそこどもシャンパンの蓋を開けながら瞑夜が言う。
「シド、飯だけじゃなくておかずも食えよ」
「……うん」
「やっぱり少しぼんやりしてるんじゃないですか?」
「そうか?シドっていつもぼんやりしてるしな」
瞑夜がシドの顔を覗き込んだ。
シドは瞑夜の端正な顔立ちを見ながら、古い友達を思い出す。
今まで瞑夜と似ていると思った事はなかったのだが、彼と長く会わない今、シドは瞑夜の顔に彼の面影を見つける事ができた。
「ね、瞑夜」
「何ですか」
「ハルシオンはまだ見つかってないの?」
その言葉に、ケイトは分かりやすく血相を変えた。
ハルシオン。歳の割にませた、聡明で美しい少年の顔が、鮮やかに思い出される。
彼はシドの親友で、瞑夜の弟だった。
「シド……」
「俺、ハルシオンを探すためにこっち来たんだ。ハルシオンが最後に行ったのイーストガーデンだったから、きっと手掛かりがあると思ったから」
瞑夜の顔も蒼白だったが、彼は幾分シドの問いを想定していたように冷静だ。
「王子……」
瞑夜の肩にケイトがそっと触れる。瞑夜はケイトを見て、安心させるように頷いた。
そして、話し出す。
「結論から言いますと、翼……弟は、まだ見つかっていません。失踪扱いです」
シドはそれを無表情で聞いている。
明るいテンションの曲が、ひどく場違いだ。
「本当の事を言えば、私も弟を探すために大学を休学したんです。両親にもその事は言ってないけど」
それはケイトも初耳な話だった。
瞑夜の弟の事はケイトも仲良くしていたし、忘れていた訳ではない。
ただ、彼の事を口にして深く踏み込むことはタブーにしていた。
瞑夜がどう思っているか分からない今、瞑夜やシドと再会できた喜びが壊れてしまうのが嫌だったからだ。
「両親は長い間色んな手を使って探していましたが、結局4年経っても持ち物ひとつ見つかってない。もう諦めています」
「諦める?」
シドは不思議そうな顔をした。
「もう、死んだと考えているという意味です」
流石に瞑夜は痛そうな顔をした。
シドは首を傾げた。
「当時、不審な男性がイーストガーデンを出入りしていたという目撃情報があります。翼と同じくらいの歳の子が暴力を振るわれたり、悪戯された、という話も……」
「おいおい。そんな話、俺は聞いてないぜ」
「それは僕たちが子供だったからです」
「ハルがそいつにやられたって言うのかよ」
「その可能性もある、という話です。でも、それでなくとも10歳の子供が一人で生き延びている可能性を信じろという方が酷です」
「…………」
ケイトはそれで何も言えなくなった。
しかし、シドは先ほどから不思議そうな顔のままだ。
「……どうして不審者がいるとハルシオンが死ぬの?どうして、4年見つからないだけでハルシオンが死んだって事になるの?」
それは瞑夜を責めるような口調ではなく、ただ単純に不思議に感じた事を口にした、という調子だった。
「……もしかしたらハルシオンは不審者に遭ったかもしれないね。違っても、何かトラブルが遭ったとは俺も思うけど、それと死は直結してない」
「…………」
「むしろ俺は安心したんだ。死体が見つかってないってことならきっとハルシオン生きてるよ」
ケイトは、シドがあんまり邪気なくそう言うので、シドが少しおかしくなってしまったのではないかと思った。
そして、シドの様子を見て、彼が全く正気のまま、何の疑いもなく友人が生きていることを信じているのを理解し、軽く恐怖を覚えた。
どうして、そんな風でいられる?
「イーストガーデンでハルシオンが知ってる場所は、俺が全部知ってる。多分ケイトより詳しいんじゃないかな」
「シド……」
「ハルシオンが見つかったら、四人でこうしてご飯食べれたらいいよね」
「…………」
シドは少し微笑んでまた白米を食べ始め、BGMが止まって、でも、しばらくケイトは動けずにいた。
「この子、本気で翼が生きてると思ってるんですね…」
瞑夜が眠ってしまったシドに毛布を掛けてやる。
「ハルはガキのくせにカリスマ性みたいなのあったからな。チビたちは皆一目置いてたっぽいし。だからハルなら、って思うのかもな」
「……この子はこの件から遠ざけた方がいいのかも」
「そうでもないかもしれん」
ケイトはスルメを齧りながら言う。
「俺よりイーストガーデンに詳しいって、たぶんそれは本当だろう。ましてや小4の子供が隠れる場所なんてここにはクソほどある。人手は多いに越したことはない…」
瞑夜は暗い顔をしながらも、最終的には頷いた。
「俺よりここに詳しい人、もう一人宛があるんだ。明日話聞きに行こうぜ」
「ありがとう」
瞑夜は笑ったが、それは少し悲しげに見えた。
なあ、こうならなかったら、君は一人で弟の死体を探すつもりだったのか?
その言葉を、ケイトは口にすることが出来なかった。