act.11
クリスマスの翌日、ケイトの部屋で雑魚寝となった三人は遅い朝を迎える。
シドは起きてすぐしっかりと覚醒したようだが、朝に弱い瞑夜を起こすのは難儀な事だった。ケイトも寝起きが良い訳ではない。
「おら、コーヒー淹れてやるから起きな」
自身も掠れた声で欠伸をしながらキッチンに立ち、お湯を沸かす。
しばらくして、珈琲の香ばしい香りが漂い始めた。
「シドは砂糖何個?ミルクいるか?」
「……俺、ブラック」
「大人じゃん」
シドの横で、まだ毛布にくるまっている瞑夜がふにゃふにゃとしている。
「ケイト。牛乳たくさん入れて下さい」
「てめーでやりな、王子さん」
「うぅ……」
珈琲を飲んで一息つくと、ケイトは見取り図の印刷された書類を机の上に出した。
「何です、これ」
「パロル館とエクリチュール館の間取り。おじさん茶目っ気全開でめっちゃ困ってんだよ」
瞑夜が書類を手に取ると、確かに1号室、2号室、と順に見取り図がある。
ぱらぱらと眺めていたシドが、不思議そうに言った。
「……ケイト。7号室がない」
「うん」
「7号室ってエクリチュール館の一階でしたか」
「それがさ、エクリチュールの一階は8号室なんだよ」
「んん?」
パロル館の一階が1号室と2号室。二階が3号室、4号室。三階が5号室、6号室。その上はない。
続きがエクリチュール館ならば、7号室から始まるのが自然だ。
「エクリチュールは一階に一部屋ずつなんだわ。んで、一階が8号室、二階が9号室、とくるんだけど、これまた10号室がないのよ」
「…………10号室はハルシオンの鍵番号だね」
シドの言葉に、瞑夜とケイトは顔を見合わせる。
「……それはちょっと気になるな。まあ、でも10号室は9号室と11号室の間にはあるんだ」
「??」
「つまり、三階に10号室が入ってる分のスペースはあるんだが、入り口が分からん」
「大家のあなたでも?」
「叔父さんが故意かうっかりか書類全部くれなかったんだよな。あと俺は大家じゃなくて、管理人代理だよ」
「不動産屋とかは?」
「うち、不動産屋とか仲介会社通してないの。君らの振り込んだ家賃がそのまま俺んちの糧になるわけ。その分安いだろ?ただし、管理はうちがしてる」
ほう、と瞑夜とシドが頷く。
「で、話戻すと、普通に階段で上ってくと、一階、二階といって何故か三階は踊り場しかなくてその後四階に着く。四階にあるのは11号室。そのあと屋上」
「つまり、三階に10号室はあるんだけど普通には行けないってこと……?」
「変な建物ですねえ」
「まあ、イーストガーデンそのものがかなりヘンテコだからね」
「……10号室が気になるのは勿論だけど、7号室がないのも気になるね」
「そうですね。ね、ケイト。7号室の鍵を持ってるの誰でしたっけ」
「7は確か、雪(すすぐ)だったかな」
「スペアキーとか持ってないんですか?」
「アンティークの方の鍵はスペアが無い。掃除はたまにしてるとか言ってたから、叔父さんは持ってんじゃないかな」
「じゃあ、叔父さんに言えば」
「無理。あの人どこにいるか分かんねえ」
憮然として答えたケイトに、二人は黙る。
「けっこういい加減だろ?」
ケイトは肩をすくめた。
「でも、雪は割とすぐ会えると思う」
「……どうして?」
「四月に越してくる。それまでに、一度鍵かりて住めるかチェックする必要があるから」
「それ、僕も立ち合ってはいけませんか?」
「いいけど、なんで?」
「翼の手掛かりがある可能性もありますから」
「……ハルシオンの手掛かりなら、むしろ10号室にあるんじゃない」
シドが冷静に言う。
「鍵も、ハルシオンが持ってるはずなんだ」
「……そうですね」
「いずれにせよ、雪が住むなら7号室も探さなきゃいけない。あと、知ってそうな人が一人いるから、後で会いに行こう」
「今日いきなりですか?」
「……叔父さんのこと?」
「いや、すぐそこ。エクリチュール館の最上階。11号室の住人だね」
土産を買おう、と言ってケイトが向かったのはコンビニだった。
これでは土産というよりは差し入れじゃないかと瞑夜は思う。
「海苔弁、唐揚げ弁当……ほら、君たちも好きな弁当買いな。シドはお菓子も一個買ってやるぜ」
「……別にいいよ」
「なんでシドだけなんですか!」
興味なさそうなシドに対し、瞑夜はお高めのコンビニスイーツに手を出している。
「……君ら、どっちが子供かわからんな」
弁当と飲み物の入った袋を提げて戻ると、その足でエクリチュール館に向かうことにした。
階段を登る途中、見覚えのある青い作業着とすれ違い、ケイトは声を掛けた。
「美形の兄さん、昨日ぶりじゃん」
階段を上から降りてきた彼は、ケイトたちに一礼して立ち去ろうとしていたようだが、声を掛けられて立ち止まった。
彼は、シドの引越しと瞑夜の買い物を手伝ってくれた何でも屋だ。
「それって僕ですか?照れますね」
にこやかに対応する彼はやはり自分の見目に自覚があるのか、謙遜するでも驕るでもなく、さらりと笑っている。
「ここにいるってことは11号室に売り込みかい?」
「ああ、11号室のお客様はけっこう前からご贔屓してくださっていて。今日は買い物の代理でした」
「げ。昼飯?」
「いえ、本です。大事な本だから直接運んでほしいって」
「なんだ。ってことは今中にいるってことだな」
「そうですね」
またなんかあったら頼むよ、と手を振ったケイトに、そう言えば、と青年が言葉を投げた。
「最近よく見る、可愛らしいリボンの女の方もこちらにお住まいなんですかね。もしそうならご挨拶に伺おうと思ってたんですが……」
「可愛いリボンの女?そんな住人いないけど」
「じゃ、僕の勘違いですね。近所の人かな」
では、と元気に去っていく彼に、ケイトは首を捻る。
「シドが見た北斗さんの彼女のことかな」
瞑夜がケイトの服を引っ張る。
「ケイト。お弁当冷めちゃいますよ」
「そうだな……」
三人は四階分の階段を上って、11号室に辿り着いた。
「齋藤さんはさ、俺より前にここ住んでた。北斗さんと一緒。叔父さんお気に入りのゲストなわけ」
各部屋の扉にはそれぞれの鍵についているチャームと同じ印がついているものだが、11号室の扉には何もついない。
「小説家で、ほとんど部屋から出てこないんだよね。部屋ん中もすごいけど、スルーして」
「小説家……」
「たまに編集者から逃げて脱走してるの見るけど」
「……すごい、ですね」
三人は、インターホンを押してしばらく待っていた。しかし扉が開くどころか、物音ひとつしない。
もう一度押しても、同じだった。
「インターホン壊れているんでしょうか」
「…………」
黙っていたシドが、人差し指でドアスコープをちょんちょんと突く。
すると、突然ドアの向こうからげらげらと人の笑い声が聞こえてきたので、驚いた瞑夜はシドを守るように引き寄せた。
「うふふふふふ!可愛らしいお客様がこんなに来てくださって、わたくしびっくりでございます」
がちゃ、と薄く開かれた扉からは、黒いクレヨンで塗り潰されたような真っ黒な瞳がぎょろりと三人を覗いた。
その奇妙なテンションと異様な瞳に、本能的にシドと瞑夜が後ずさる。
「覗いてたの、良くお気付きになりましたね、坊ちゃん」
白い手がにゅっと出てきて、シドの頭をよいこよいこと撫でた。
「相変わらず人が悪いな、齋藤さん。良かったら入れてくんない?土産持ってきたぜ」
ケイトが持っていたビニル袋を揺さぶって見せると、
「ポテトチップスは?ポテトチップスは?」
と、齋藤がはしゃいだ声を上げた。
「勿論。確かコンソメが好きなんだよな、齋藤さんは」
「良くご存知で!」
あたかも動物の餌付けである。
ではどうぞ、と扉が開き、部屋の主の姿を見た瞑夜は、その瞬間宇宙人を見たかのような顔をした。
自分たちを招き入れるその人の性別が、全く完璧に分からなかったのだ。
「御機嫌よう、初めまして。わたくし、11号室に住んでおります、齋藤一二三と申します。以後、お見知り置きを」
齋藤はにっこりと作り物みたいに笑った。
そして、名前を聞いても性別はよく分からないのだった。