act.01
ライブハウス、ニックに一番近い煙草屋は、昔懐かしい箱型の店の中に店員のいるタイプで、種類もまあまあある。
最近は経費削減のため自分で巻いていたので利用していなかったが、たまには良いものだと思う。
店員はケイトの知る限り3回変わっているが、どいつも情の薄そうなつまらなそうな顔をしているのが不思議だ。血縁者なのだろうか。
「ケイトじゃん!」
「よ。」
声に振り返れば、平日の昼間っからビールの缶を片手に酔っ払った二人組がへらへら手を振っている。
顔は知っているが、名前までは覚えてないくらいの知り合いだった。
この辺りを歩いていると、顔見知りに出くわすことも珍しくない。
「また一緒になんかやろうや」
「はいよー」
お前と演った事あったっけ。
そんな疑問もそこそ、適当に返事をする。
愛想はないが冷静で人あしらいが上手く、見た目に似合わず面倒見が良かったりするケイトは、欠員が出た時やバンドが揉めた時、何かと重宝されている。
高尚なバンド論もなく、それなりにどんな曲でも弾けて、褒められることは少ないが決して下手ではない。つまり器用貧乏なタイプだ。
時々あんまり頭にくると真っ赤な髪を振り乱し、めちゃくちゃに暴れて自分も相手も血塗れになっていることもあるが、基本的には温和で平和主義。そんな自分をつまらないとも思うし、バランスが取れているとも思っていた。
たまたま気が向いて知り合いのライヴを見に来たが、まあ時間と金の無駄だった。
帰りにバロックでも寄ろうか、と考えていると、着信を告げるヴァイブレーションに気づき、ジャケットのポケットから今どき珍しいガラパゴス携帯を取り出す。モニターには、「王子」と出ていた。
「……はい」
『……ピアノが……』
「……入らなかったか」
『………はい』
「すぐ帰るから待ってて」
『……ごめんなさい』
「いいよ」
ここからケイトの家までは、電車とバスを乗り継いで一時間程度だ。
週に何度も都心に出るのだから、定期を買った方が財布に優しい。
そう思うもののたまに全く家から出ない気分の月があったりして、過去の経験がケイトの判断を鈍らせている。
『何か買ってこようか?いるものある?』
王子にメールを打つと、しばらくして
『でるめのちょこーれとをおねがいします』
と全部ひらがなの文章が送られてきた。
おばあちゃんかよ、と思わず笑ってしまったが、さて、でめるとは何だろうか。
首を捻ったケイトが王子所望の品を手に入れたのは二時間後の事で、その高級チョコレートの値段にげっそりとして帰った。
こんな高価な菓子を、自分で買ったのは初めてのことだった。
幸運なことに、ケイトの住処は最寄りのバス停から徒歩3分ほどの場所にある。
汚いどぶ川を超えると小さなよく分からない店が並ぶ場所に出るのだが、その奥まった場所にある、EAST GARDENという廃墟の公園の裏のアパートだ。
正確にはイーストガーデンは廃墟ではないし公園ではないが説明が難しい。ケイトが住んでいるアパートもイーストガーデンの一部であるから尚ややこしい。
ケイトがイーストガーデンと横にある元ライヴハウス(こちらは本当の廃墟)の間を通って裏側へ回ると、クラシカルな雰囲気のアパルトマンが現れる。
今日は横にある小さな駐車場にグランドピアノが裸で置いてある。そして雑草生い茂る花壇の隅には鳥打ち帽を被ったトレンチコートの青年が座っていた。
「王子、おまたせ。寒くないの?」
「いいえ。寒さには強いので」
ケイトを見上げる瞳は神秘的な緑色だ。髪もブロンドの巻き毛。そしてその男ーー瞑夜(めいや)ーーは、驚くほど美しい顔をしていた。
「それよりその呼び方どうにかなりませんか」
「王子?」
「そう、それ」
瞑夜が立ち上がると、長身のケイトよりも上背がある。
「だって、君って本当に王子様みたいだからなあ。初めてだよ、おやつにこんな高価なチョコレートを所望する奴」
ケイトがチョコレートの入った紙袋を渡すと、瞑夜は幸福そうに微笑んだ。
「おや、美味しい物が高価なのは当たり前の事です」
しれっとそう抜かすので、わざとらしくため息を吐いてやる。
「さあ、チョコレートがあるのだから紅茶を淹れましょうか。僕の部屋はまだ散らかっておりますからケイト。あなたのお部屋に入れて下さいませんか?」
「やれやれ」
やっぱり貴族みたいな奴だ、と呟いて、ケイトは腰に鎖をつけてぶら下げていた、大きなアンティークの鍵を握った。
部屋に入ると、瞑夜は控えめにケイトの部屋を見回していた。
「紅茶、でいいのかな?確か土産で貰ったやつがどっかにあるはずなんだけど」
キッチンの戸棚を探していると、瞑夜が自分が淹れると言ってきたので、素直に見つけた紅茶の缶を手渡す。瞑夜はいかにも紅茶の淹れ方にこだわりを持っていそうに見えた。
ギターやCDを部屋の隅に避け、ちゃぶ台の上からMacをどけると、一つしかない座布団を瞑夜のために置く。
あんな俳優のような男にくたびれた座布団は似合わないことこの上ないが、生憎と今まで客が来た事がないのだ。
ちゃぶ台のよく分からない汚れをティッシュで拭いていると、瞑夜がマグカップをふたつ持ってやってきた。
瞑夜はケイトの前にカップを置くと、どうぞ、と言うようににっこり笑った。
世の美形はみんな、こんなに屈託なく笑えるものなのだろうか。
いただきますと言って口をつけると、恐ろしく熱かった。
「で、ピアノだけど」
「あそこに入れるには、解体するしかないようで」
「そもそも見積もりが甘いよ……」
専門業者でなく、小さな引越し業者に頼んだのがいけなかったようだ。
いくらグランドピアノにしては小柄だったとしでも、普通の家には入らないことは明確だ。
「出すのは普通に出来たんですけれどね」
「……すごい家だね」
瞑夜は去年までイギリスの祖母の家に住んでいたらしく、今年日本に引っ越すに当たって実家のピアノを貰ったらしい。
イーストガーデンは小さい頃よく遊びに来ていたというのもあるが、防音仕様が気に入って入居を決めたという。
「イーストガーデンの中の店なら、入り口が大きいのもあるし入るかもね」
「ああ、店に住むという手もあるのか……」
「……いや、住むのはアパートに住んでよ。別に使ってないから、ピアノ置く場所のお金はとらないよ」
すると瞑夜はきょとんとした顔をする。
「あなたは随分とお人好しですねえ」
「……君はちょっと天然入っているよね」
さて、とケイトは呟く。
「ピアノを運ぶ算段を考えよう」
ピアノを運ぶ方法を調べた二人は、下にダンボールを敷いて押していく事にした。
「雨とかふりませんように」
「階段で転びませんように」
平らな場所ならば比較的楽に運べるが、少しでも段差があると二人で持ち上げなくてはならない。
どうやら二人ともそう力があるわけでもなく、もう諦めて業者を呼ぼうか、などと相談していた頃、
「あの……」
暗いトーンで声を掛けられた。
見ると、雨も降っていないのに傘を差した男が立っている。
顔は見えないが男は随分若そうで、まだ少年と言っても差し支えのない声で尋ねてきた。
「イーストガーデンってアパート……知りませんか?表の店とかある方じゃなくて、アパートの方」
「ああ、そこなら俺も住んでるけど。てかすぐそこだけど」
「……あ……俺、そこに住む事になってて」
ぼそぼそとしたあまり抑揚のない喋り方や傘を持つ真っ白な手を見ながら、ケイトは徐々に思い出していく。
確かいたな、こんな奴……。真っ白で、チビで、無表情な……。
「俺が大家なんで、何かあったら言ってください。………………思い出した、シドだ!」
「え?」
急に古いあだ名を呼ばれ、驚いたように顔を上げた少年に、ケイトの疑惑は確信に変わった。
「やっぱり、シドだ。久しぶり。俺だよ俺。ケイト。覚えてる?」
「……ケイト?」
するとピアノの陰から出てきた瞑夜もシドを見て驚いた顔をする。
「シド!変わっていませんね」
しばらく唖然として二人を見ていたシドは、二人の姿を過去の思い出と照らし合わせ、少しだけほっとしたような顔をした。
「………二人とも、久しぶり」
三人の間の緊張が解け、急速に懐かしい空気が流れる。ケイトと瞑夜ははにかむシドを年長者らしく笑顔で見守っていたが、不意にキラリと目を光らせた。
「王子、二人じゃダメでも三人ならいけんじゃない?」
「ええ。皆は一人のために。一人は皆のためにですよね」
「ほら、俺らって仲間みたいなもんだし?」
「…………え?」
二人は顔を合わせて力強く頷く。
嫌な予感に顔を歪めたシドは、彼らの後ろにあるグランドピアノを見て何かを悟った。