生まれた時から綺麗な物や良い匂いのする物、口触りの良い物に囲まれておりました。
人々の笑顔と讃美。煌びやかで、特別な者にしか許されない贅沢。
なに不自由のない、人が羨む生活をしてきた自覚が御座いますわ。でも、少し退屈でもあったのね。

昔馴染みは大勢いらっしゃるけれど、被告は幼いあたくしが自分で選んだ遊び相手ですの。
被告のお父様があたくしの父上のビジネスの相手で、屋敷にお子さんを連れていらっしゃったのね。
子供は三人いました。どの子も綺麗なお洋服を着せられていたけれど、上の二人は美しい優しい顔をした子供なのに、一番下の子は髪の色も目の色も他の子と違って真っ黒でした。あたくしは見慣れないという理由でその黒い子を選んだのですが、実はその子はお妾さんの子で、他のお姉さまやお兄さまとはお母さまが違ったようなのです。

一緒に遊ぶ事になったのは良いけれど、初めて会ったその子は無口で、黙っていると何も言ってくれないし、何もしません。
女中が見かねて中に入ってくれて、ようやく遊びの真似事ができます。
人形遊びをしてもつまらなそうだし、塗り絵をしていてもどこか上の空。
あたくしは段々、失礼な子だと思って意地悪な気持ちになりました。
それで、父上の贈り物の舶来人形を持たせて、階段から落としなさいと命令したのです。
その子は人形を持って、何を考えているのか分からない表情で階段の下を見ていました。
その人形はあたくしの部屋に山ほどある人形のひとつでしたが、その子はきっと一体も持っていなかったでしょう。泣いて謝ったら許してあげるつもりでしたのに、その子はあろうことか、にや、とチェシャ猫みたいに笑ったんです。
「お嬢様がそうおっしゃるなら」
手を放されたお人形が、金の巻き毛を靡かせて落下していきます。あたくしが息を呑んで見ておりますと、そのまま一瞬で小さくなって床に叩きつけられて壊れました。
あたくしはその子の手を取って階下へ降りて、粉々になった可哀想な人形を見に行きました。
「何かを壊すって面白いのねえ」
「そうでしょうか。勿体無い事をしたと思いますけれど」
直ぐに音を聞きつけて大人が集まってきましたが、遊んでいる途中で落としてしまったと言うと、皆慰めてくれました。
あたくしは何故だかとてもどきどきしました。それは、いけない事をしたという罪悪感だけではなかったようでした。
お部屋に戻ると、あたくしは棚の上の人形を全部取り出して、綺麗な円形に並べました。そしてその中心にその子を座らせます。
「あなたは大罪人だわ。今からお人形裁判をします。裁判長はわたし」
お人形に囲まれたその子は、少し面白そうに口の端を上げていました。
「罪状は人形殺し。被告人に発言権はありません」

それからあたくしはその子を「被告」と呼ぶ事に致しました。
お父上にその子と一緒に勉強したいと言うと、直ぐに手配してくださいましたわ。あまりそぐわない身分ではありましたが、被告はあたくしと同じ学校へ行く事になりました。
学校での被告は、地味だけれど穏やかで人当たりの良い人と思われているようでした。あたくしはそれが何だか面白くなくて、色々ちょっかいを出しましたが、いつも上手にかわされてしまうのが常でした。
他の生徒は、あたくしと被告が仲の良いことを不思議に思ったり、あんまり良く思わなかったりしたようです。
実際、仲が良いのとは少し違いました。
ただ関心があっただけです。被告があたくしをどう思っていらっしゃるかは知りません。

一度あの方があんまりのんびりなさってるから、とても酷い事をしてみたのだけど、その時はさすがにしばらく遠ざけられてしまいました。今はまたお友達に戻ってくださったから、その時の事は赦してくれたのかもしれないわね。
たまに、被告はまだあの時のことであたくしを恨んでいらっしゃって、いつかこっぴどい方法で復讐されたなら素敵だと思うんですけれど、あなたどう思います。
それで殺されてしまったりしたら、あたくしはどんな気分になるのかしら。他の方のように死にたくないと、思ったりするのでしょうか。





そんな話を一方的にしておりましたら、突然馬車が激しく揺れて止まってしまいました。
鋭い叫び声が聴こえて、目の前の方は(名前はなんだったかしら)あたくしの手をお捕まえになって、かくなる上は一緒に死のうと仰いました。
けれどもそうなる前に、馬車の戸が開いて、夫が中に入ってきました。反対側の戸からも人が入ってきて、たった半刻ほどあたくしを冒険へ連れて行ってくれたその人は、乱暴に外へ引きずり出されていったのです。
「君、怪我はなかったかい」
夫が優しく微笑んで手を差し出してくれます。
「ええ。とっても楽しかったわ」
「それは結構だね」
夫の手を取って外へ出ると、其処には被告もいらっしゃいました。
夫が事情を話して、呼び出してくれたようなのです。今日は駆け落ちもできて、夫とも被告とも会えましたから、とても良い日ですわ。
「賊に拐われたと聞いて心配して駆け付けましたが、相変わらずですねN嬢」
「そうだよ。僕らの心臓に悪いからもうこんな遊びをしたら駄目だよ。あの人も気の毒だからね」
「だって、駆け落ちをしたらどんな気持ちになるのか知りたかったの」
見れば、さっきまであたくしを連れて新しい土地でお嫁さんにしてくださると言っていた方が、ずたぼろになって地面に落ちておりました。
被告はそれを興味深そうに眺め、夫は形ばかり気の毒そうなお顔をしました。
夫は騒がせたお詫びをしたいと被告を屋敷に招きましたが、被告は用事があると言って帰ってしまいました。

帰りの車で、あたくしは好奇心から夫に尋ねます。
「もしあたくしと馬車に乗っていたのが被告だったら貴方どうしましたの」
夫はふふふと笑います。
「僕は君が楽しいのが一番だからね。君が良いなら見逃してしまうだろうな」
そして、君たち二人共慎ましい生活には向かなそうだけれどね、と続けました。あたくしはその回答を気に入ったので、夫の頬に接吻を差し上げます。
運転手が息を殺しているのが分かりました。

夫はあたくしとよく似た魂をお持ちになっています。
夫は正しく、あたくしは少し間違った心をしているようですが、そんなことは小さな差でしょう。
「さっきの方、どうなってしまったかしら」
「あの様じゃあもしかしたらもう死んでしまったかもしれないな」
「まあ、お気の毒だわ」
「君、髪に百合をさしているね。良い香りだ」
これは駆け落ちの方があたくしの髪に挿してくださったのでした。あたくしはそれで、昔被告がくれた、庭に生えてたという鳥兜の事を思い出します。猛毒の鳥兜を切りっぱなしであたくしに差し出し、この花は貴女に似ている、と被告は言いました。



このまま死ぬまで、あたくしはきっと幸福に過ごす事でしょう。お人形さんみたいににっこり笑ってそこにいるのがあたくしのお仕事です。
綺麗なもの、優しいもの、良い匂いのするものに囲まれて、ゆっくり腐っていく幸せなお人形。
願わくば、このまま幸福で窒息死してしまう前に、びっくりしてしまうくらいの不幸が唐突にあたくしに降りかって、そう。例えばいきなり地面に叩きつけられて粉々になったりしたら、もう言うこと無いのですけれど。
幸せすぎるあたくしは、ついついそんな事を考えてしまうのでした。