最近、夢見が悪くて仕方が御座いません。
それもきっと、ポメットのせいに間違いないのです。
ポメットは、それはそれは悪い子なのですから。


わたくしが住んでおります黒蝶館は、廢園地の最奥に建っている西洋造りのお屋敷で御座います。
独りで住むには広すぎて、寂しいですし管理も大変。けれどもその分気楽であるのも確かです。
どうやら歴代の廢園地の管理人が住んでいたようで、わたくしには到底必要ない、豪奢なドレスや、古い甲冑、製図器具やいかがわしい人形などが、なんの脈略もなく置いてあります。
階段の壁には六つの立派な額に入れられた肖像写真がかかっており、恐らくそれが今までの管理人たちなのだと思います。
その他、名前の由来であろう、蝶の標本がありとあらゆる場所に飾られているのだとか、先代が本好きだったのか、本棚をはみ出してそこら中に小説本が置いてあるのだとか、わたくしの気に入っているところだったりします。
広いお屋敷で、わたくしが使っているのは食堂に風呂、厠と寝室、書斎くらいで、その他の数多ある部屋の扉は普段触れる事もありません。
毎日、好きな時間に起きて好きな時間に食事を摂り、読みたい本が尽きる事もない。
黒蝶館は、理想的なわたくしひとりのための図書館でした。
少し前までは。


前日に夜更かしをして、怠惰にもお昼ごろに起きた日のことでした。腹ごしらえに一階の食堂へ行こうと階段を降りた時です。
わたくしは何か小さな物を踏みつけて、鮮やかに転がって踊り場まで落っこちてゆきました。その時に強か頭をぶつけたらしく、しばらく気を失ったようです。数分のことかもしれませんし、数時間経っていたのかもしれません。気がつくと身体が痛くて、何より頭が割れそうでした。
見ると、階段の一段一段に、小さな車の模型が置いてあるのです。わたくしはそれの一つを踏んだようでした。
そんな風に階段に車を並べた記憶は当然御座いませんし、わたくしはたった独りで住んでおりますからこれは異常な事でした。
危ないので片付けようと順番に車を拾っておりますと、なんとなく視線のような物を感じて二階を見上げてみました。
すると、金髪のビスクドールが一体、ちょうどこちらを見下ろすような格好でわたくしを見ていたのと目が合いました。

意味がわかりませんでした。
読んでいるあなたは困惑なさっていることと思います。わたくしはもっと困惑しました。困惑を通り越して恐怖でした。
ビスクドールはタンタンとその場でステップをした後、小動物のように俊敏に走り去っていきました。(あれは後から考えるに、地団駄を踏んでいたのだと思われます)
わたくしは呆気に取られておりましたが、急いでそれを追いかけようとして、また転んで階段を落ちてしまいました。
膝を三針縫いました。


それ以来、椅子に三角形の積み木が置いてあったり、湯飲みでミミズがひしめき合っていたり、美麗な絵画の本に落書きがしてあったりして、辛い思いをしました。
ビスクドールは用心深く中々近くに来ませんが、必ず仕掛けたいたずらの成果を確かめに来ます。
いつ何が起こるかわからず、神経を磨り減らす日々です。
そうしてとうとうある日、起きた際に口に何か付着していると思ったら枕元に殺鼠剤とティースプーンが落ちていて、いつか殺されると確信したので御座います。


わたくしはチョコレートの箱を机に置いて、大きな声で独り言を言いました。
「ああ、美味しいチョコレイトをいただいてしまったよ」
そして、箱の蓋を開けたまま、横に砂糖の入った瓶を置きます。
「これはとっても恐ろしい毒で、附子というのだ。附子とは、烏頭から取れる毒の事ですが、大変危険ですから扱いに気をつけねばいけません」
そうしてこのふたつを置いたまま、暫く他の部屋で本を読んで暇を潰しました。

少し経った後、チョコレートを見てみますと、附子だと言った砂糖が大胆にまぶされた状態になっておりました。
ビスクドールは言葉は理解するようですが、人間ほど頭が良くないようです。
人間がわたくしを殺すなら、こんなにあからさまに毒を撒かないでしょう。

わたくしはチョコレートをひとつ食べ、叫び声を上げながら痙攣し、倒れました。
無論演技ですが、劇団に入れるくらいの名演技だったはずです。
その証拠に、カーテンの裏に隠れていたビスクドールが、早速様子を見に駆け付けてきました。
呼吸を止めているわたくしの周りを、小さな足がとことこ歩いています。
わたくしはちょうど腕の辺りにビスクドールが立った時、勢いよく立ち上がって捕まえてしまいました。
そして、暴れるビスクドールを大きめの鳥籠に閉じ込めてしまったのです。


ビスクドールの怒りは甚だしく、駄々っ子のように転がったり、両手で籠を叩いたりして騒ぎました。
わたくしは籠に布を掛けて、今までビスクドールが汚したり壊したりした物を片付けるため、屋敷中を歩き回りました。
二日間掛けて綺麗にして、そっと布を取ってみますと、ビスクドールはしょんぼりした様子でいました。
もしや食べ物がいるのでは、とクッキーをやってみると、足で踏んで粉々にしてしまいます。水もひっくり返してしまいました。

脱走するのが怖いので、籠は書斎に置く事にしました。
最初は本を読もうとすると籠を叩いてうるさくしたりするので、そういう時は布を掛けて真っ暗にします。ビスクドールはそれを嫌がるようで、次第に大人しくしているようになりました。
ある時レコードを掛けるとくるくる踊っていたので、少し可愛く思います。
小さな絵本を入れてやると、ほとんどぐちゃぐちゃにしてしまうのですが、うさぎや自分に似た女の子の描かれた頁だけは綺麗に破いて大事にしているようでした。
女の子だからと思い、小さな鏡台を入れましたが、すぐに割って壊してしまいました。
ネズミのぬいぐるみは気に入って、可愛がっているようです。
段々見ているうちに、表情もない悪いビスクドールですのに、愛着が湧いてきてしまいました。
わたくしは、ビスクドールにポメットという名前をつけました。



しばらく一人暮らしで退屈していたせいかもしれません。
わたくしは本を朗読したり、折り紙を目の前で折ったりして、ポメットと遊ぶ方法を探すようになりました。
ポメットは喋りませんが、怒ると暴れますし、喜ぶと踊ったり飛び跳ねたりします。
お話も、学問のすゝめを読むと本の切れ端をこちらに投げつけてきますが、吾輩は猫であるを読むと大人しくしています。
そんな感じにすっかり夢中になって家でポメットを構っていたら、ついに食料が無くなってしまいました。
わたくしは久しぶりに家を空けて外へ出ました。

久々の外出で、最初は食料を買ってすぐ帰るつもりが、本屋を冷やかしたり、新しい足袋や万年筆のインキを買ったりしていて、帰る頃にはすっかり日が落ちておりました。
暗い中でポメットが淋しがってやいないだろうかと急いで部屋に戻りましたら、なんと鳥籠が棚から落ちて、扉が開いた状態になっています。
当然中は空で、しかし、ポメットの一部と思われる破片が床に落ちていました。
名前を呼んで探し歩きましたが、ポメットは出てきませんでした。
せめて壊れた部分を直してやりたいと思いましたが、それも叶いません。
わたくしは自分で思っていたよりがっかりして、しばらくはポメットに読もうと思った本を見たり、喜んでいた折り紙を作ったりして自分を慰めて過ごしました。


そのまましばらく何もなかったのですが、一月くらい経った頃でしょうか。
また、鍋の中に手袋が入っていたり、茶くみ人形がいきなり動いたり、時計がめちゃくちゃな時刻になっていたりするようになりました。
前ほど悪質ではないし、ポメットが元気なのが分かったので、今はそのままほっておく事にしています。
しかし、最近になってレコードを掛ける事を覚えたポメットが、夜中になると、どうやって運んだのか音楽を掛けるようになりました。
それ自体はまあいいのですが、何故かそのどれもが気味の悪い、不気味な曲…とも言えないような音楽で、わたくしの夢見はどんどん悪くなるばかりです。
わたくしは最近、寝室を別の部屋にしようかと真剣に考え始めています。