第3章
プロローグ

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プロローグ

繁華街は雑然としており、良く見れば道の脇に積み上がったゴミ袋には、丸々と太った鼠が集っている。
あたしには慣れた光景だったが、やっぱりこの街は汚いからあんまり好きになれない。
あたしを連れてきたキャバクラの友だちはもうすっかり出来上がっていて、さっきから意味もなくけらけら笑っては腕に巻きついてくる。

「ねー、もー足痛いんだけど」

「もおちょっとだからぁ」

きゃはは、とまた高い声で笑い、友だちはあたしの手を引っ張る。
ミュールの踵がもう限界だ。
気に入っていた靴だけど、そろそろ替え時だとあたしは考える。

「キャバ嬢やっててそんな酒弱いの向いてないよ」

「あたしのこれ、マジで酔ってる訳じゃないもん」

「あのさぁ、あたし眠いんだけど」

「やだやだ、まだ帰ったら寂しい」

もはや接待だ。
今日はこいつに奢らせようと決める。

「あんね、今から行くとこちょーすごいの。普通の人は入れないの。会員制なんだよ」

「それ大丈夫なの?あたし今月あんま金ないよ」

「平気。あたしちょっとあるから。それよりさ、そこには王子様がいてさ」

「は?」

「あっ。あそこあそこ!」

急に走り出した友だちを追って、私も走り出す。ヒールが悲鳴を上げている。

友だちが馬鹿みたいに笑いながら指差しているのは、大きな立方体の建物だった。
蔦が絡まる不思議な雰囲気のそれは、重々しい金属の扉の横に、『heaven』と筆記体でピンク色のネオンが小さく灯っていてお洒落だ。

これは間違いなく高い店だ。
しかも『王子様』ときては、ホストクラブじゃないだろうな。

「さ、はいろー」

友だちはご機嫌で扉を開ける。
中は暗い照明ではあったが、ピンクレッドに塗られた壁が毒々しかった。
扉の裏も鋲打ちで飾らせており、すぐそこにあるカウンターの背中には、動物の頭の骨が吊り下げられている。

「ねー、あたし甘くて美味しいの飲みたい」

あたしを連れてきた友だちは、だらしなくカウンターにしなだれかかってそう注文した。
すると、長めの髪を後ろで縛ったバーテンがそれに応じる。
あたしたち以外に客はいない。
狭い店内で、三人だけ。

「お待たせしました」

頼んでいないのにグラスは二つ置かれていた。
乾杯、と友だちがはしゃぐ。
水色の宝石を飲んでいるよう。
あたしも気分が良くなってきた。

「ねえねえ、今日は王子様いる?」

「もうすぐいらっしゃいますよ」

「やったー!」

「ねえ、王子様って何?」

「あんね、金髪で歌の上手い王子様。あたしね、中学生の時に出会ったの。マジ運命じゃない?」

「何それ。夢?」

もはや女の仮面が剥がれ、ガキみたいになった友だちは何がおかしいのかばんばん机を叩く。 そしてその後、呟くようにこう言った。

「あんな綺麗な人、初めて見た。やっぱ美しさって価値なんだよ」

「へえ」

そこまで言われると気になるものだ。
あたしたちは皆、綺麗な物に目がない。

「いらっしゃったようですよ」

バーテンダーが店の奥の壁だと思っていた場所を押すと、扉になっていた。
友だちはよたつきながら暗闇に吸い込まれていってしまう。

「ちょっとまってよ」

扉の向こうは暗幕で、さっきよりもずっと暗い場所だった。
しかも、人が沢山いるようだった。
あたしは怖くなる。

「な、何ここ……」

目が慣れる前に、激しいスポットライトが何かを映した。
それは舞台で、どうやら背の高い男の人が立っているようだった。

「王子様……」

気がつけば友だちが泣きそうな、うっとりとした顔で横に立っていた。
周りの人間も、似たような顔で同じ方向を見ている。けれど、みんなが口にする名前は全部ばらばらだった。

「皆、僕の歌を聴きに来てくれてありがとう」

美声と言って差し支えのない声だ。
優しく撫でられているような、官能的な声。

「それじゃあ、今日はこの曲」

男が息を吸い込み、次に音を吐き出した瞬間、あたしの脳は電気を流されたようにショックを受けた。
もう男の事しか見ていられない。
音に溺れるように喘いでいた。

でもどうしてだろう。
そんな状態で、あたしは別の人のことを考えていた。
そう、燃えるような赤い髪をした。
女の子の身体を持つ、男の子の事を。